繊細な人は「激しい議論」とどう向き合うべきか?(アベプラに出演してみて)
あけましておめでとうございます。
急に長文が綴りたくなったため、ブログを更新していきたいと思います。
大晦日に機会をいただき、Abema Prime(アベプラ)に、僅かながらオンライン出演させていただきました。(↓が自身の出演回です。)
Abema Prime(アベプラ)は、ニュースなどのテーマをもとに、出演者が議論を交わすAbemaTVの番組になります。
Twitterがきっかけで10月にも出演させていただき、それから2ヶ月が経ち、改めて出演させていただくことになりました。
「誰かを打ち負かさない議論」をテーマにお話を交わさせていただき、色々と気づきを得ましたので、自身の頭の整理も兼ねて、綴っていきたいと思います。
この記事の目次
繊細な人にとっての「激しい議論」とは?
今回、アベプラの「誰かを打ち負かさない議論」をテーマに、僅かながら出演させていただきました。
「激しい議論が苦手」「対立が苦手」といった立場から、私は意見を述べることとなりました。
本ブログでは、繊細で敏感な気質であるHSPについて呟いていますが、HSPの人の中には「激しい議論」が苦手な人が多いと思います。
例えば、「HSPの人は暴力的なシーンが苦手」「HSPの人は他人が怒られていると自分が怒られているように感じる」と言われることがよくありますが、こうしたことから類推すると、「激しい議論」の中では、心が凍てついてしまうような気持ちになる人も少なくないのではないでしょうか。
とはいえ、番組内では「HSP」というワードは出さないように、10月の出演回(今回の出演会ではなく、その2ヶ月前の出演回)で番組スタッフにお願いしていました。
おそらく現況においては、「HSP」という一般的には抽象的なワードを出してしまうと、「議論が苦手なこととHSPの学術的定義とは関係ないよ!」等といった、番組のテーマとは関係ない話題にそれてしまうと考えたためです。(HSPを巡る現況について、以前に以下のブログ記事で綴っています。)
HSPを巡る現況。そしていま発信者に求められることとは?(前編)
また、「HSPは激しい議論が苦手」という観念を強く意識すぎてしまうと、なかなか前向きな考え方が生まれないと思います。
そのため、このブログの読者の方々にも、「HSPは激しい議論が苦手」という観念は一旦棚に置いて、「激しい議論が苦手な人はどうすれば良いのか」という解決に向かった思考を強く持ってほしいと思い、あえてこの先は、HSPというワードは使わないようにします。
さて、今回のアベプラでは、色んな方が興味深いことを仰っていたのですが、テレビで激しい議論になることについて、出演者のひろゆきさんは、YouTubeのサムネにもあるとおり、「そもそもエンタメとして面白くない議論でないと視聴者に見てもらえない(テレビ等のメディアの前以外ではこうした議論はあまり行わない)」いった趣旨のことを仰っていました。
これはまさにその通りだと思っていて、番組内では世の中で流行っているコンテンツである「ブレイキングダウン」が引き合いになっていましたが、「激しい議論」が含まれている内容を魅力だと感じる人が多いことを、数字(テレビの視聴率やYouTubeの再生数)が物語っています。
濃淡はあると思いますが、こうした「激しい議論」に対して、趣味・趣向の括りで言えば、大きく分けて3パターンの人がいると思います。
①「激しい議論」が好き・楽しい ②「激しい議論」は好きでも嫌いでもない・特に気にならない ③「激しい議論」が嫌い・苦手 |
今回の番組内の議論では、①(「激しい議論」が好き・楽しい)の人が多くいるという前提で話が進んでいたので、私としては、「③(「激しい議論」が嫌い・苦手)の人も存在するよ」という趣旨の主張をしました。
おそらく、繊細だと自認する人の中には、③(「激しい議論」が嫌い・苦手)な人が多いのではないかと推測しています。(番組内では、「激しい議論」をみるのが苦手な理由として、「言い負けてる側の立場で見てしまったり、自分が言われてしまったりすることを想像してしまうから」と申し上げましたが、苦手な理由は人によって違うかもしれません。)
③(「激しい議論」が嫌い・苦手)な人の視点からは、「激しい議論」をみると、「もっと穏やかに話し合ってほしい」「お互いの価値観を受け入れながら話し合ってほしい」と考える人も多いことでしょう。
ただ、実際には、①(「激しい議論」が好き・楽しい)の人が多くいると考えれば、実生活においても、「激しい議論」自体がなくなることは無いと思います。
そう考えれば、③(「激しい議論」が嫌い・苦手)な人が「激しい議論」に直面する機会は、必ずあるということになります。
そのため、③(「激しい議論」が嫌い・苦手)な人としては、現実問題として、「激しい議論」がなくなることを祈るだけではなくて、「激しい議論」に対してどのように向き合うのかということが大事だと考えています。
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繊細な人は「激しい議論」とどう向き合うべきか?
(1)「激しい議論」に直面しないように立ち回る
まずは、できる限り、「激しい議論」の場に直面しないように立ち回ることが大事だと考えます。
実際の生活に落とし込んだときに、「激しい議論」はどのような場面で起きるのかと考えたときに、例えば、仕事における会議・打合せという場で発生するのではないかと思いますので、ここではその想定で考えていきたいと思います。
「激しい議論」が苦手な人からすると、威圧的な態度や言動をされながら相手に主張されると、怯んでしまって、頭が真っ白になってしまうことも少なくないと思います。
言い換えると、「事実」をもとに落ち着いて話し合えれば問題なくコミュニケーションを取れる人でも、付随する感情的な部分(威圧的な態度や言動)を感じると、うまくコミュニケーションが取れなくなってしまう場合があると考えられます。
こうしたことを踏まえ、私の場合ではありますが、できる限り会議・打合せが発生しないように、メールやチャットで仕事のやり取りを済ますように心がけています。
最近は、「時短のために会議・打合せは減らそう」と見聞きすることが多くなりましたが、一方で「会議・打合せで話し合うことが大事だ」という人もいます。
そう言う人の主張を聞いていると、「みんなが同じ方向を向いていないか心配だ」「文章を読むのが面倒くさい」等の話を聞きます。
ただ、逆に言えば、文字のコミュニケーションであっても、論点や目的、誰がいつまでに何をやるといった5W1Hが明白になっていれば、会議や打合せをする必要性は減ってきます。
また、文字のコミュニケーションでは、誰が言った・言わないの問題も少なくなり、対立の要素も減ってきます。
そのため、「激しい議論」の場が苦手な人は、短時間かつ短い文章で、論点・目的・5W1Hを端的に表現できる力がつけば、ある程度「激しい議論」に直面する機会を減らせるのではないかと思います。
自分の会社にも、同じ仕事であっても、口頭でのコミュニケーションが多めの人と文字のコミュニケーションが多めの人の両方が存在しますが、コミュニケーションの手段によって、どちらが良い成果を残せるといった差はあまりないように感じます。(どちらの手段であっても、論点・目的・5W1Hが素早く明確にできる人は、成果を残しやすい印象です。)
ただ、仕事の種類によっては「激しい議論」が不可避な場合もあると思います。
そうした場合の向き合い方を、考えてみます。
(2)「激しい議論」に直面しそうになったら仲間を呼ぶ
私自身も、「激しい議論」に直面するケースがあります。
そうした場合は、「激しい議論」にも順応できる仲間を呼ぶことで、負荷が軽減されると考えています。
今回のアベプラの番組内でも主張しましたが、ひろゆきさんと米山隆一議員の間での激しい主張は見ていてキツい面があったのですが、途中から平石直之アナウンサーのファシリテーションやその他の出演者からの意見が入ったことにより、温度感は穏やかになり、かなり見やすいものになりました。
アベプラのYouTubeを見ていると、こうした状況について、「物足りない」という趣旨のコメントもある一方で、「見やすくなった」という趣旨のコメントもありました。
これは、先ほど①〜③に分類しましたが、「激しい議論」に対しての趣味・趣向による差なのではないかと思います。
このように、議論の参加者によって、議論の温度感は変わってくるので、自分だけで対処しようとするのではなく、仲間を読んで対処するということも手段として考えられるのではないかと思います。
とはいえ、テレビとは異なり、「激しい議論」に順応できる仲間が周りにいるとは限りませんし、助けてくれる仲間がいないことも考えられます。
そうした場合の向き合い方も、考えてみることにします。
(3)「激しい議論」が発生しやすい環境から逃げる
まず一つ考えられるのは、自分自身が「激しい議論」に順応できるように、慣れていくということが考えられます。
例えば人前での発表など、場数をこなせば緊張しなくなるというケースもありますが、「激しい議論」においても、同じ理論が適応できる人もいると思います。
その一方で、どうしても自身の持つ繊細さで、場数を踏んでも「激しい議論」に適応できない場合や、適応する前に大きな負荷で倒れてしまうと言うことも考えられます。
なので、「激しい議論」が発生しやすい環境から逃げる、という選択肢が考えられると思います。
もし会社の中で「激しい議論」が日々発生する環境にいるのであれば、部署を変えるように人事部門等にお願いしたり、もしそれが叶わない場合には、会社を辞めるという選択肢が浮かんでくると思います。
いずれにしても、「激しい議論」が苦手な人にとっては、自分から何もメッセージを発さず、行動も起こさずに我慢すると、「激しい議論」に対する負荷がどんどん溜まっていくのではないかと思います。
なので、「激しい議論」が苦痛で負荷が大きくなっている場合には、着実にアクションをとっていくということが大事なのではないかと思います。
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おわりに
今回、アベプラに僅かながら出演させていただき、個人的にはとても貴重な機会になりました。
個人的には、テレビに出演される方は皆さんプロで、自身に課せられている役割をきちんと把握されていますし、一つ一つの言動がユーモアがあり、終始上手だなと思っておりました。
例えば、本番開始前(テレビが映っていない部分)、ひろゆきさんが声がけしてムードメイクするなど、意外な一面もあって私としては安心した面もありました。
また、大晦日という空気感もあり、出演者のわかしんさんの提案で、最後に激しい口論を交わしてた2人が握手するという終わり方にほっこりしていました。
そして、テレビ番組ですので、スタッフの方々による下準備もしっかりしていて、生放送であるのにも関わらず、一つの見やすい作品になっているのは、本当にすごいことだと思いました。
一方、実生活に照らし合わせてみると、テレビに出演されるようなユーモアさや客観性もないままに、「激しい議論」になることもあります。
なので、「激しい議論」が苦手な立場から、改めてこのテーマを再考し、ブログ記事を執筆するに至りました。
そういうことを考えると、自分の立場による主張になってしまいますが、相手の話を最後まで聞いたり、相手の意見も認めるような相槌を打ったり、そうしたコミュニケーションが議論の場でも増えていくと、いろんな人が意見を言いやすくなっていくのではないかと思います。
実際、現場では時間が限られているので綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、最近よく見聞きする「心理的安全性」に照らし合わせると、本音で意見を言い合える職場は生産性が高まるという主張もあります。
そういう意味でも、自身の生活に置き換えて「議論」を考えてみる機会が持てて、私としては大変貴重な機会になりました。
ぜひ、皆さんの中でも、考える・行動するきっかけになりましたら、大変幸いです。
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