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HSP働き方戦略室|明日から使える処方箋をあなたに。

HSPの人がなんとなく他人を批判するのをやめた方が良い理由

 皆さま、こんばんは。

 連日、世の中の話題は、日本大学と関西学院大学によるアメリカンフットボールの定期戦で起きた「悪質タックル問題」で持ちきりですね。

 今回は、この事件に関して記事を書きたいと思います。

 ただし、「誰が悪いのか?」という善悪について、テーマとするものではありません。

 このニュースに対する世間やSNSでの反応を見て思うことを書きたいと思っております。

 HSP(≒敏感・繊細な性格)の方は、世の中の出来事に感化されやすい人も多いと思います…もしかして、一部の報道や意見を切り取って「なんとなく」で批判している方はいないでしょうか。

 実はこれ、自分にとって良くないことが多い行為ですのでやめた方が良いと考えております。

 その理由を、述べていきたいと思います。




 

「なんとなく」で人を批判してしまう理由

(1)アメフト悪質タックル問題に対する世間やSNSでの批判について

 世間やSNSで、よく人を批判する声が聞こえます。

 批判するきっかけは、会社や仕事での出来事から世の中のニュースまで、あらゆるところから生まれてきます。

 特に、世の中のニュースが対象となった場合、事実の重大性よりも誇張されて報道され、それに応じる形で世間やSNSで批判する声も多くなってきます。

 最近では、日本大学と関西学院大学によるアメリカンフットボールの定期戦で起きた「悪質タックル問題」が最たる例だと思います。

 凶悪性の高いニュースも多々あるのに、この問題が取り上げられやすいのは、人の関心を呼び寄せやすいからです。

 こういうニュースで批判が起こるとき、最終的に行きつく批判対象は、「人」になります。

 「悪質タックル問題」で批判対象になったのは、日大の「監督」や「コーチ」ではなかったでしょうか。(現在は、「学長」まで及んでいますね。

 さて、少し視点を切り替えてみましょう。我が身のこととして、普段の生活の中で良いことと悪いことを判断しなければならないとき、皆さまはどのように行動するでしょうか。

 おそらくですが、まずは判断するための手がかり・証拠を探していくと思います。

 そのうえで、周囲が納得するまで説明し、最終的に善悪を判断するケースが多いのではないでしょうか。

 話を「悪質タックル問題」に戻しましょう。

 世間やSNSで、手掛かり・証拠をしっかりと調査のうえ、挙げられている声はごく少数なのではないでしょうか。

 言い換えれば、既に善悪が決着したことを前提に、述べられている意見が多いと私は思うのです。

 これは、善悪が決着したという雰囲気が既につくられてしまっているということが原因だと思われます。

 それに乗っかる形で、「なんとなく」批判をしてしまう意見が大半なのではないでしょうか。

 これは今回の「悪質タックル問題」に限らず、これまでも他のニュースでも同じ状況が起こってきました。

 これは、ある種人間の性質に依存するものだと思います。

(2)「なんとなく」で人を批判をしてしまう理由

 さて、前の項目では、昨今の「アメフト悪質タックル問題」を例に、世間のニュースに対して「なんとなく」で人を批判してしまう状況を説明してきました。

 そして、それは人間の性質に依存するものであるとも説明しました。

 そこで、「なんとなく」で人を批判してしまう理由を次のとおり、整理してみましたので、ご覧ください。

【「なんとなく」で人の批判をしてしまう理由】

①快楽(勝った感覚)を得たいため

 「言い負かされる」という言葉があるとおり、世の中には、コミュニケーションに対して勝ち負けの認識が取られる場合があります。また、ディベートといった、コミュニケーションによって勝ち負けを問う競技もあります。

 さて、批判というコミュニケーションは、当事者を前にすることは非常に少ないです。そのため、既に勝ち負けの雰囲気がついている場合、優勢側に自分の意見を重ね合わせれば、同意する意見をもらえる可能性が高く、快楽(勝った感覚)を得られる可能性が非常に高いです。逆に、周囲に守ってくれる人が多い状況のため、「言い負かされる」リスクは低いので、「なんとなく」で批判をしてしまうことにつながるのだと思います。

 

②自分を守るため

 ①は積極的理由ですが、②は消極的理由となります。人は、周囲の意見に同調しやすい傾向にあります。

 皆さま、アッシュの同調実験はご存知でしょうか。実験の内容は省きますが、この実験により、質問に対する正解・不正解が明らかな場合でも、周囲の人々が不正解を選択すると、それに同調して自分も不正解の答えを選んでしまう可能性が高くなるというものです。

 同調が起きてしまうのは、自分が間違っているかもしれない・人から嫌われるかもしれないという不安から自分を守るためだと言えます。逆に、人に好かれようとして、同調を利用するケースもあるでしょう。

 つまり、既に勝ち負けの雰囲気がついている場合、それがたとえ自分の意見でなくても、その雰囲気に疑問を感じずに、「なんとなく」で批判する行動につながるのです。そして、意見を一度発すると、前に言ったことを覆したくない(世で言う「手のひら返し」をしたくない)という人間の心理が働くため、初めは自分の意見でなくとも、いつの間にか自分の意見として頭に記憶されてしまうのです。

 

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「なんとなく」で人を批判するのはやめた方が良い理由

 前の項目では、「なんとなく」で批判してしまう理由を、人の心理に重ね合わせて説明してきました。

 さて、ここからは、本記事のテーマのとおり、「なんとなく」で人を批判するのはやめた方が良い理由を述べていきたいと思います。

 実は、私も一時期、何事に対しても批判から入る性格でした。

 これは、私がHSPで感化されやすいということが要因にあると思います。また、私の家族は、基本的に自分の主張ばかりで、しかもその多くが批判でした。

 このような環境で育ってきたこともあり、そんな性格になってしまったのだろうと思います。

 さて、そんな性格であったからこそ、私も「なんとなく」で批判をしてしまうことが多々あり、それがたくさんの失敗につながってきました。

 私は自分の失敗も踏まえ、「なんとなく」で人を批判するのは、絶対にやめた方が良いと皆さんにお伝えしたいと考えております。

 自分の経験、そして、本や友だちから得た教訓も踏まえ、「なんとなく」で人を批判するのはやめた方が良い理由を以下のとおり整理しました。

 ぜひ、ご覧いただければと思います。

【「なんとなく」で人を批判するのはやめた方が良い理由】

①批判は必ず自分に返ってくるため

 世の中のニュースでも、会社や学校における自分の周りの出来事でも、批判は必ず自分に返ってきます。

 何故かというと、批判はネガティブな意見が含まれることが多く、ネガティブな意見は相手の頭に残りやすいからです。

 そのため、批判をした後になってから、別の話題においても「お前、あのときはそう言ってたよな…」とレッテルを貼られたうえで、コミュニケーションがはじまることがあります。

 更には、自分の周りの出来事で批判をした場合、批判対象の張本人やその周囲の耳にも伝わってしまい、人間関係の悪化につながる場合もあります。

 これは後述しますが、私は自分の経験を伴った批判は、自分の意見として発信したほうが良いと思っています。

 ですが、「なんとなく」で人を批判した場合、明確な根拠がないため、「お前、あのときはそう言ってたよな…」というレッテルが、その後のコミュニケーションや人間関係において、不利に働いてしまう場合が多いのです。

 

②ネガティブを見る癖がついてしまうため

 批判というのは、前述のとおり、ネガティブな内容が含むことが多いです。

 そして、①ではネガティブな意見は相手の頭に残りやすいとお伝えしましたが、これは自分の頭にも残りやすいのです。

 さて、「なんとなく」で人の批判を繰り返すとどうなるのか。

 それは、人のネガティブな部分に目がいくようになってしまうのです。

 他人、そして自分に対しても、ネガティブな部分が目立つようになります。そして、人だけでなく物事にも悲観的になります。

 こうなると、自己肯定感が非常に低くなり、世の中が生きづらくなってしまうことにもつながる可能性があります。

 

③「0か100か」で判断する思考がついてしまうため

 「なんとなく」で人を批判する場合、既に善悪の雰囲気に乗っかって意見をすることが多いため、人そして物事に対して「善か悪か」、ひいては「0か100」かで判断してしまう癖がついてしまいます。

 これは、自分に対しても、「0か100か」で評価する癖がついてしまいます。

 以前、私がうつ病のときにお世話になったカウンセラーから、「一日の出来事全てに対して得点を付けてください。」と宿題をいただいたときがありました。

 その時は、10点満点で評価することになっており、10点に近いと評価した出来事が少しだけあり、そのほかは全て0点に近いと評価した出来事が大半でした。

 カウンセラーによると、既に「0か100か」で評価する癖が頭の中にできており、ショッキングなことをきっかけに、自分が評価するものの多くが「0点」に一気に振れてしまったため、うつ病になってしまったのだと言われました。

 つまり、「0か100か」の思考は自分の精神を苦しめるトリガーにもなり得るということなのです。

 そして、「なんとなく」の批判を繰り返すことが、「0か100か」の思考を根付かせる可能性があるのです。

 さて、どうでしょうか?

 「なんとなく」で人を批判することは簡単ですが、その行為により、自分にとって良くないことが非常に多いのです。

 そのため、「なんとなく」で人を批判をするのはやめた方が良いと、私は考えております。

 

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「なんとなく」で人を批判することをやめるためにすべき5つのこと

 さて、前の項目では、「なんとなく」で人を批判することはやめた方がよい理由を述べてきました。

 一方で、「なんとなく」で人を批判することは人間の性質にも関わってくることですし、場合によってはこの行為が癖になってしまって、やめることが難しい可能性があります。

 先述のとおり、私自身もかつては、何事も批判から入ってしまう性格でしたが、友だちや本から得た情報を踏まえて、色んなことを意識して行動することで、「なんとなく」で批判することは少なくなりました。

 そこで、「なんとなく」で人を批判することをやめるために、私の経験上、実践が簡単で、かつ有用であった方法を次のとおりまとめてみましたので、ぜひご活用いただければと思います。

【「なんとなく」で人を批判することをやめるためにすべき5つのこと】

①批判する前に一呼吸置いてみる

 「なんとなく」で人を批判してしまうのは、出来事などに対して、直感的に反応してしまうと起こってしまうことが多いです。

 また、自分では批判のつもりは無くても、いつの間にか批判になってしまうということもあります。

 スティーブン・R・コヴィー氏による「7つの習慣」が、昨今話題になりましたが、その中でも、主体性を発揮するための一つとして、「刺激に対する反応の間にスペースを置くこと」が語られています。

 スペースを置くことで、刺激(出来事など)に対して、自分の考えや周囲への影響度もしっかりと考慮したうえで、反応(言動)を取ることができるようになるのです。

 ここでいうスペースを、私は「一呼吸」に置き換えてみました。

 もし、直感的に反応してしまうという自覚がありましたら、反応する前に一呼吸を置いてみてはいかがでしょうか。

 もしかすると、発言する予定であった批判は、周囲にとっても、自分にとっても良くないものだと事前に気付けるかもしれません。

 

②経験していないことは批判しないと心の中で決めておく

 本記事において、「なんとなく」ということを強調している理由は、批判すること自体は悪くないためです。

 経験したことを踏まえて、批判することは、周囲への警鐘につながります。

 また、自分に反論が返ってきたとしても、建設的な議論につなげることができ、自分の思考を洗練することにもつながります。

 一方で、経験していないことに対して、「なんとなく」で批判した場合、周囲に偏った認識を植え付ける可能性があり、また、自分に反論が返ってきたときに感情的な対応しかとることができなくなる可能性があります。

 そのため、「経験していないことは批判しない」と心の中で決めておけば、「なんとなく」で批判することは少なくなると思います!

 

③ネガティブな情報を避け、ポジティブな部分を見つける癖をつける

 先述のとおり、「なんとなく」批判してしまいたくなるのは、物事に対してネガティブなことから見つけてしまう癖がついていることが理由である可能性があります。

 その癖をなくすためには、まず、ネガティブな情報を極力避けることが大事です。

 例えば、批判が多くみられるテレビのワイドショー、批判ネタが中心のYoutuberの動画、直感的な発言が中心のSNSのユーザーなど、自分の力でシャットダウンができることが多々あると思います。

 それから、人や物事に対して、ポジティブな部分を見つける努力をしてみましょう。

 ポジティブな部分を見つける癖がつくと、自己肯定感を高めることにもつながります。

 ポジティブな力を最もつけるためには、ある環境下で劣勢におかれている人に対して、ポジティブな部分を探すことです。

 今回の「アメフト悪質タックル問題」に置き換えてみれば、雰囲気的に劣勢におかれている日大の「監督」や「コーチ」目線でも、一度物事を考えてみると良いかもしれません。

 ポジティブな部分を探す癖がつけば、自分が劣勢におかれても、希望を見つける筋道が作れるようになると私は考えております。

 

④「0か100か」で評価をせず、「△か〇か」で評価をする

 先述のとおり、「なんとなく」で批判をすることで、「0か100か」で評価する思考が根付くと述べましたが、逆に言うと、「0か100か」の思考が、「なんとなく」で批判をすることを加速化させます。

 そのため、「0か100か」で評価する思考を改善すれば、「なんとなく」の批判をする頻度も減ることにつながります。

 以前、私がうつ病になったときに、私自身がこの思考であったことをカウンセラーに指摘されましたが、このカウンセラーのアドバイスで私はこの思考を改善することができました。

 それは、「0か100か」ではなく、「△か〇か」で評価するということでした。

 世の中には、「0か100か」で判断できることのほうが少なく、この思考が根付いている場合は、過大評価か過小評価でしか物事を判断できず、認知が歪んでいる可能性が非常に高いです。

 そこで、「△か〇」かで判断するようにすれば、自然と評価が適正なものに近づいていきます。

 ちなみに、私自身がうつ病から抜け出せたのは、カウンセラーからのこのアドバイスが非常に大きかったと思っております。

 

⑤自分と違う価値観の意見に触れる

 「なんとなく」で批判をしないためには、雰囲気に左右されない、自分の軸が必要になってきます。

 そのために、私が大事だと思っていることは、自分と違う価値観の意見に触れることだと考えております。

 これは、石黒正数氏の漫画である『ネムルバカ』の中で出てくる「駄サイクル」という描写をみて、私は重要さに気づくことができました。

 「駄サイクル」は、自称アーティストが、何人か集まって「見る→ホメる→作る→ホメられる」を繰り返している、自己顕示欲を満たすための空間のことを指しております。

 自分の軸を形成するため、言い換えれば本当に自分が大事だと思うことをつくっていくためには、自分と違う価値観の意見に触れていくことが大事です。

 これは、自分が否定されている気持ちにもつながるため、辛いことでもあります。

 しかし、これを乗り越えれば、自分の中で強い軸が形成されていきます。

 もちろんのこと、自分のストレスケアのために、自分と同じ価値観に触れていくことも大事です。

 一方で、そればかりになってしまうと、自分の心身を強くすることができません。

 そのため、たまには勇気を出してみて、自分と異なる価値観に触れることが大事だと私は考えております。

 

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おわりに

 さて、皆さま、今回の記事はいかがでしょうか。

 繰り返しになってしまいますが、私自身、「なんとなく」の批判をすることで失敗したことが多々ありました。

 皆さまにはぜひ、自分のためにも、「なんとなく」批判することはやめた方が良いということをお伝えしたいと思っております。

 さて、今回例に挙げた「悪質タックル問題」ですが、最近でもこれに似たような、事実の重大性よりも誇張されて報道されてしまった事件が多々あったかと思います。

 そのような事件は大抵、誰かが悪となって、世間やSNSから猛批判を浴び、最後には人の尊厳もままならず、跡形もなかったかのように燃えつくされます。

 一方で、猛批判をした側は自分の身には何の影響もないため、人を猛批判によって燃やし尽くしたといった、加害者としての意識は一切なく、それどころかその事件すら忘れてしまいます。

 でも、忘れてほしくないのは、その批判は必ず自分に返ってくるということです。

 もし、集団の中で同調が求められるときは、「難しくてよくわからない」「事件自体を知らない」と誤魔化すことが望ましいです。

 ちなみに、「悪質タックル問題」については、善悪の言及は避けてきましたが、名前を出した以上、何かは言及しなければいけないという自分の責任が発生しているため、簡単に述べたいと思います。

 大前提として、ルールや信義則に反して、人を傷つけるのは良くないと考えております。

 そのため、直接的であれ、間接的であれ、ケガをさせる指示につながってしまった「監督」や「コーチ」に非がありますし、危険行為をしてしまった「加害選手」にも非があると思います。

 ただし、人間は生きている以上、必ず間違いはあります。

 勿論のこと、私自身も過ちを犯すことが多いにあり得ます。

 だからこそ、「悪質タックル問題」において、自分にとって一番教訓になったことは、「謝罪の仕方の重要性」でした。

 「謝罪の仕方」が上手になると、自分が怒られても凹まなくなることにもつながります。

 このことについて、記事にまとめていますので、是非以下の記事リンクからご覧ください!

 

 

 なお、謝罪を焦点に当てた「悪質タックル問題」のニュースについては、以下のリンク記事が参考になるかと思います。ぜひ、ご興味がある方はご覧ください。

東洋経済オンライン 2018年5月24日の記事
「日大は、どこで判断を間違えてしまったのか」

 

ぽん乃助って誰?(プロフィール)

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プロフィール

 

名前:ぽん乃助

 

社会の荒波に揉まれ、猫の皮を被ることになった繊細な人間。世の人間たちの間では、繊細な気質のことをHSPと謳って色んな情報が溢れる中、猫の穿った目線で処世術のヒントっぽいことを呟く。猫パンチのない、穏やかな世界が好き。箱の中で生死を待つのではなく、箱の外に出ることを選択するシュレーディンガーの猫になりたい。

 

 

 

 

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