【連続対談企画 始めます】HSPブームを受けて発信者たちは何を思う?
HSPとは、繊細で敏感な気質ということで、生きづらいという文脈で言葉が広がっていきました。
そして、1年前~半年前くらいに、テレビや芸能人がHSPを取り上げるようになり、HSPの知名度がかなり高まりました。
この状況を「HSPブーム」と揶揄する人も現れるようになりました。
そしてこの「HSPブーム」に対しては、HSPについて誤った認識が広がるなど負の面も見られるようになり、SNSを中心に問題視される声も多数あがりました。
そこでこの度は、この「HSPブーム」を受けて、長らくHSPについて発信されている方(数人)に、お話しをお伺いすることにしました。
既に対談を終えている方もいらっしゃいますが、まずはこの連続対談企画の目的について、この記事でお伝えしたいと思います。
「HSPブーム」が問題視された理由
冒頭に述べた通り、昨今テレビでの報道や芸能人の発信を受けて、「HSPブーム」が起こりました。
ただし、この「HSPブーム」をきっかけに、HSPの誤った認識が広がったり、HSPという言葉を使った悪徳商法やカルトが見られたりするようになりました。
このことについて、SNSを中心に学者を中心に問題視する声があがり、一定の議論がなされるようになりました。
私は以前、発信者という立場から、この「HSPブーム」についての問題点を考察しました。
「HSPブーム」はなぜ問題視されたのか?【行動経済学で考察】
要約すると、私は「HSPブーム」について、以下のとおり考えています。
【私の「HSPブーム」に対する考え方】 ・「HSP」が人に見られる(数字が取れる)言葉になり、「HSP」が学術的に持つ意味を超えて、ネガティブな言葉とくっつけて発信する人(ブロガー・ツイッタラーなど)が増えた。 ・その結果、HSPは学術的な意味として「環境に影響を受けやすい人」という意味であるにも関わらず、一般の人の認識としては「繊細で敏感で生きづらい」という意味が浸透された。 ・そして、学術界と一般界の中立立場をとるべき“一部”の臨床家(医者・心理士など)も、自身のビジネスのために、「HSP」の誤った認識を意図的に使うようになった。 ・その結果、感受性の高さはグラデーションであるにもかかわらず、SNSを中心に「HSP」と「非HSP」というような対立構造を生むようになった。さらには、「HSP」は精神疾患の意義はないのにもかかわらず、「HSP」と精神疾患を結びつけるような認識(「HSPうつ」などの誤った概念など)も広がった。 ・ただし、Googleの検索傾向から考えると、学術的には「HSP=生きづらい」は誤った認識であるが、「自分がHSPだと思う(主張する)人=生きづらい」は正しいと考えられる。 ・つまり、HSPの誤った認識が広がらないように留意しつつも、HSPを主張する人の背景にある「生きづらさ」に対してアプローチすることが、発信者(ブロガー・ツイッタラーなど)である私たちに求められている役割であると考えられる。 |
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「HSPブーム」をテーマに発信者たちと対談しようと思った理由
実は上記の「HSPブーム」に関する記事や考え方は、かなりの反響を受けました。
多分、こうした記事や考え方を発信している人は、かなり少であったことが反響を受けた理由だと思います。
発信者(ブロガーやツイッタラーなど)の立場からすると、こうした主張は自分の発信媒体における人気獲得と逆行する可能性があるため、こうした主張はしづらいのです。
そのため、私個人の立場としても、私以外の発信者における「HSPブーム」に対する考え方が、見えない状況にありました。
私は今、SNS(特にTwitter)を中心とするHSP界隈において、現在は以下のとおりの現況になっていると思っています。
【私が考える今のHSP界隈の現況について】 ・現在のインターネット(SNSなど)は非匿名性で数字が見えることが当たり前になったため、情報の中身や信頼性よりも、「“誰”が情報を発信しているのか?」「いいねがどれくらいついている情報なのか?」ということの方が重要視されるようになった。(肩書・見た目・雰囲気・フォロワー数など、より外見が大事にされるようになった。また、数による同調圧力も強くなっている。) ・その中で、HSPに関して学術界から発信者に対し、「学術性を軽んじている人がいる」というメッセージが発せられたことにより、「HSPの発信者=ちゃんと学術性を考えていない」という印象がついている可能性があると考えられる。 ・その結果、現在のHSP界隈は「学術性」が正義になっており、「実践性」が蔑ろになっているように思える。(「学術性」VS「実践性」という構図や、「学術性」による正論が強くなっている。) |
私は以前に、こんなツイートをしました。
誰も触れないけど、「HSP=生きづらい」と断言しづらくなり、HSPのブロガーやSNSでの発信者の立場は危ういです。
この状況を察し、HSPを持ち上げてた人が、急に批判側に回ることも多くなった。
だけど、適切に情報発信すれば問題ないわけで、ネット特有の手のひら返す感が私はイヤだな…と思います。
— ぽん乃助@繊細な人の働き方戦略家/ブロガー (@suke_of_pon) November 29, 2020
つまりは、これまで「HSPと生きづらさ」ということを語ることよりも、「HSPについて間違った発信をしている」という指摘をすることのほうが優位性を取れるようになったことで、HSPの発信の仕方を変える人が増えてきたのです。
ただ、私は上記の考察のとおり、「自分がHSPだと思う(主張する)人=生きづらい」というのは真実だと思っており、ここからは目を背けるべきでないと思っています。
そして、発信者ができて学者にできない役割は、「仮説でもいいから、実体験などをもとに生きやすくなるかもしれない方法を伝えること」だと私は思っています。
この「HSPブーム」をきっかけに、自分のポジションの優位性が取れなくなり、HSPに関する発信をやめる人も散見しました。
ただ私は、「自分がHSPだと思う人の生きづらさをどう乗り越えていくか?」というヒントをブログなどを通じて伝えることで、前向きに過ごせるようになった人もたくさんいると思います。
なので、これまでHSPに関する発信をしてきた人の努力を無かったことにしたくありませんでした。
そこで、HSPに関して長らく向き合ってきて考えている発信者たちに、「HSPブーム」に関するお話を伺うことで、以下の目的を達成できると考えています。
【「HSPブーム」をテーマに発信者たちと対談する目的】 ・「HSP=生きづらい」は正しくないが、「自分がHSPだと思っている人は生きづらい」傾向にあることは言える。 ・悩んでいるHSPの方に対して、「学術性(より正確な情報)」と「実践性(より行動に移しやすい情報)」のバランスをとれた情報を伝えたい。 ・悩んでいるHSPの方の立場を考えると、HSPの発信者はいわゆる「実践性」を特に求められていると考えられる。逆に「学術性」は、学者などに求められている。 ・そこで、HSP界隈で活動を続けている発信者たちと対談し、発信者たちも「学術性を気にしている」ということを明確にできれば、「学術性」と「実践性」のバランスが大事であることを押し出せる。 |
これが、私が「HSPブーム」をテーマに発信者たちと対談しようと思った理由です。
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第1回目の対談者
第1回目は、『HSPの教科書』の著書で知っている方も多い上戸えりなさんにお話をお伺いすることにしました。(既にお話は終えています。)
上戸えりなさんは、私と発信の雰囲気は違う(?)ものの、HSPに対する考え方のスタンスは非常に似ていると感じている方です。
上戸えりなさんとは、1年半前に一度お話をしたことがありますが、前回とは比べ物にならないくらい深いお話ができました。
HSPの人が考える「生きづらさ」に関して、本当に参考になるお話がたくさん伺えたので、次回の記事にきちんとまとめられるよう頑張っていきます!
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