HSPの人がSNSで「いいね」を気にすべきでない理由とは?
HSPとは、生まれつき5人に1人は当てはまる、繊細で敏感な気質の人を指します。(HSPの詳しい解説は、こちらからご覧ください。)
そして、私もHSPのひとりです。
さて、HSPは、その知名度はメディアやインターネットを通じて広まってきており、SNSなどでは当事者同士のグループが生まれています。
そのため、SNSを通じて、”生きづらさ”の改善につながる情報や交流の機会を得られるようになりました。
ただ、HSPの人は傷つきやすい傾向にあり、SNSを間違った使い方をすると逆効果になってしまうということを、以前、記事にまとめました。(詳しくは以下のリンクからご覧ください。)
今回は、「HSPとSNS」のテーマで、第二弾の記事を書いていきます。
私は、SNS(Twitter)でHSPに関する情報の発信やHSPの方々との交流をはじめて1年半ほど経ちましたが、続けているうちに考え方が変わってきました。
自分の中で一番大きかった考え方の変化は、「いいね」を気にしなくなったということです。
恐らく、SNSを使っていて、「いいね」などの”共感”を気にするHSPの人は多いのではないでしょうか?
でも、「いいね」を気にすると、情報を発信する側としても、情報の受け手側としても、しんどくなってしまいます。
今回は、私の経験も踏まえながら、HSPの人がSNSの「いいね」を気にすべきでない理由をお伝えしたいと思います。
ぜひ、最後までご覧ください。
HSPの人がSNSの「いいね」を気にすべきでない理由とは?
(1)情報を発信する側の立場として
私は、TwitterでHSPの方への情報発信を続けて1年半となりました。
私が発信をはじめた理由は、私が苦しい経験をしてきた中で役に立った考え方などが、他のHSPの方々にとっても有用だと思い、伝えていきたいと思ったからです。
また、私は「書く」ことが好きで、「書く」ことを仕事(副業)にもつなげられれば…と思って、まずはブログやTwitterからはじめようと思った経緯にあります。
SNSの発信者の多くが、「誰かのためになりたい」「新たな収入の機会を作りたい」というところに、動機があるのではないかと思っています。
さて、そんなSNSの発信者が目指すところは、インフルエンサーを目標に置く人も少なくありません。
それは、発信する情報が多くの人に読まれれば読まれるほど、価値が生まれるからです。
ただ、そんな発信者が陥りがちな罠は、「たくさん共感が得られた情報=絶対的な正義」と思い込んでしまうことにあると思います。
かくいう私も、Twitterをはじめたときは、「どうやったら共感を得られる文章を書けるか?」ということばかりに焦点を置いていました。
そして、「共感を得られる文章は、人の意識を変える」と信じ込んでいたわけです。
ただ、あるとき、それは大きな間違いだと気づきました。
それは、自分の過去を振り返ったときにありました。
私は以前、うつ病に罹っていたこともありますが、なぜうつ病から抜け出せたか…というと、思い出せないのです。
正確に言えば、数年生活しているうちに、気づいたら自然と良くなっていったという感覚なのです。
「誰かのお陰で」とか「この本のお陰で」とか、明確な理由はなく、様々な経験を経て今の自分があるわけです。
よく、インターネット通販の自己啓発系の著書のレビューを見ると、「この本を読んで生きるのが楽になりました」というコメントを見ることがあります。
でも、本当にしんどい時期を抜け出すためには、とても時間がかかるし、「○○のお陰だ」といった明確な理由なんてないのです。
精神科の医師や看護師など、支援者向けに書かれた著書においても、次のとおり書かれています。
そもそもケースの多くは、じつは年単位でトラブルが経過しているのである。我々がちょっと関与したからたちまち問題が解決するなどと思うほうがオカシイ。丹念に根気よく、ひととおりのことをして「待つ」のが重要である
引用:春日武彦(2004)『はじめての精神科』医学書院
SNSの発信者にとっても、同じことが言えると思います。
つまり、共感が得られたコメントであろうとなかろうと、実際に人の心に与える影響は微々たるものだということです。
私がTwitterをはじめたてのときは、「いいね」の数を過剰に気にしていました。
そして、「いいね」を得られたツイートを見たときに、自分の考え方に自信を持っていきました。
逆に、ツイートに「いいね」が得られないときは、過剰に自信をなくしていました。
今思えば、本当に、自意識過剰の思い上がりに過ぎません。
そして、「いいね」をいかにもらえるかということを気にするばかり、私のインターネット上の人格が、リアルの自分自身の本心や経験から大きく離れ、しんどくなっていきました。
そんなこともあり、今年からHSPの方など”生きづらさ”を抱える方に積極的にお会いするようになりましたが、その中で「当事者にとって本当に必要な情報」と「自分自身の本心や経験と向き合う重要さ」が分かるようになってきました。
そして、私が当初、発信活動を通じて掲げていた「誰かのためになりたい」という思いは、「共感」される情報を発信するだけでは達成できないことも理解しました。
恐らく、私のTwitterを長く見てくださっている方は、この変化に気づいた人もいるかもしれません。
そして面白いことに、共感を狙った文章よりもそうでない文章の方が、共感を得ることもあるのです。
そんなこともあり、私はSNSで情報を発信する側の立場として、「いいね」を気にすべきではないと思うのです。
(2)情報の受け手側の立場として
私がTwitterをはじめたばかりのころは、「いいね」がたくさん得られているようなツイートをしている人は、きっと完全無欠の素晴らしい人なんだろうと思っていました。
そして、その人が素晴らしいと思うと、「その人の言動すべてが正しい!」と思い込んでしまうわけです。
いわゆる、ネットで言う「信者」というやつですね。
でも実は、これってとても危険なことなのです。
『ヒトは「いじめ」をやめられない』の著書で有名な、脳科学者の中野信子氏は、次のコメントをされています。
「“いじめ”は集団になれば、ほぼ必ず生じるといっても過言ではありません。人間は、ほかの動物とは異なり、他人のために役に立とうとする『向社会性』という性質があります。しかし、それがあまりに高まりすぎてしまうと、共同体の中で社会に対する自己犠牲を過剰に求めてしまい、周囲に比べて何もしていないように見える人を排除する行動をしてしまうのです」
「『オキシトシン』は、(集団を構成する人との)愛情や親近感を深める働きがあり、会話やスキンシップを取るだけでなく、同じ空間にいるだけでも分泌されることがわかっています。しかし、仲間意識が過剰に高まった結果、妬みや排外感情を生み出すという負の側面があることも明らかになっています」
引用:exciteニュース「「大人のいじめ」は子どもよりも深刻!? 脳科学者・中野信子氏に聞く、上手な回避法」(アクセス日:2019年11月30日)
先ほど申し上げたとおり、発信者は「誰かのためになりたい」という『向社会性』が強い人が多いのではないかと思われます。
また、その発信者に対し「その人の言動すべてが正しい!」と思い込むと、反対の意見があったときに、排他的になる可能性も高まるわけです。
人間には完璧な人なんていないので、いくら有名な発信者であっても、間違っている言動をするときもあります。
そう考えてみると、「いいね」がたくさん得られているツイートに対して共感したとしても、そのたったひと言で、その人自体を判断するのはとても危険なのです。
そして、「その人の言動すべてが正しい!」と思い込むのは、自分で考える力が失われてしまい、考え方も凝り固まってしまうわけです。
なので、情報の受け手側としても「いいね」を気にすべきでないと思うわけです。
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私にとってSNSで一番大事だと思うこと
SNSに限らずですが、私が大事にしていることは、「その人の人格を評価するのではなく、その人の言動を評価する」ということです。
先ほど申し上げたとおり、どんな人だって完璧ではなくて、良いことをいうときもあれば、間違ったことをいうときもあるのです。
だからこそ、相手の人格を見て判断するのではなく、相手の言動ひとつひとつに対して、賛成するのか反対するのかを考えるようにしています。
以前、Twitterでは、「いいね」の機能を廃止検討をしているということで、ニュースになりました。
検討の過程で、Twitter社のプロダクト責任者であるケイヴォン・ベイポー(Kayvon Beykpour)氏は、次のとおり語っています。
「各機能によるユーザーのふるまいの変化や、会話へのインパクトを知ることでわれわれも商品やユーザー体験を理解できる。例えば『いいねしたツイートがフォロワーのタイムラインに表示されることで人々の行動が変わってしまう』というフィードバックは、日本のユーザーからかなりいただいている。また、いいねやリツイートの数を競う“人気コンテスト”のような状態に一部でなっていることも知っている」
引用:ITmedia「なぜ? Twitterが「いいね」廃止検討、タイムライン並び替え 責任者に聞く」(アクセス日:2019年11月30日)
発信者の立場としては、「いいね」の数を競うコンテスト状態に一部でなっているということ…。
私は発信者の立場として、「いいね」をいかにもらえるかということを気にするばかり、私のインターネット上の人格がリアルの自分自身の本心や経験から大きく離れていった時期があったと先述しましたが、私は「いいね」の数を競うコンテスト状態に巻き込まれていたんだなと、今振り返ればそう思います。
だからこそ、私は完璧な自分を演じず、良い部分も悪い部分も見せながら、それで足掻く姿を見せていくということ。
そして、自分の「理性と感性」や「理想と現実」をバランス良く勘案し、伝えていくということ。
「いいね」に振り回されないように、私はSNSでも、そう立ち回ろうと思うようになりました。
そして、今の私は、Twitterをやる中で、「リプライ」や「引用RT」といった、他者のフィードバック(感想や考え方)を求めてSNSに向き合っています。
他者のフィードバックを踏まえ、徐々に自分の発信を”成長”させていく…そう”成長”こそが、私のモチベーションとして、発信活動を駆り立てています。
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おわりに
最近、SNS疲れという言葉をよく聞くようになりました。
その理由のひとつに、「他者からどう思われているのだろう?」ということが気になり始めることが挙げられています。
そこで、他人の目を気にしてしまうHSPの人は、SNS疲れに悩まされている人も少なくないのではないんじゃないかと思い、今回の記事を執筆するに至りました。
私も、サラリーマンとして仕事に向き合ったり、HSPの発信をしたりしている中で、「所詮ネットは情報収集ツールであり、人間関係においてはリアルに勝るものはない」と思うようになりました。
今現在、肩の力を抜いて楽しくネットで情報発信できているのは、この割り切りがあったからではないかと思います。
例えば、ニュースを見ていて他人事なのにもかかわらず、感情移入しすぎて疲れてしまう時期が私にもありました。
でも、一番大事なのは、自分の体で感じている世界や、自分の目で見ている世界であり、そこからは背くことができないということです。
基本的に私のブログでは、著書などをもとに事実ベースで記事を執筆することが多いのですが、久々に自分の感覚を優先させた記事を書いてきました。
たまには、こういう記事を書くのもいいですね!
それでは、今回の記事は、この辺で終えたいと思います。
もし、悩んでいる方にとって、少しでもお役に立てたのであれば、大変幸いです。
それでは、また次回も、よろしくお願いいたします!
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