繊細な人が「HSP」という言葉から一時的に逃げてほしい3つの理由
HSPとは、繊細で敏感な気質の人を指します。(HSPの詳しい解説は、こちらからご覧ください。)
さて、私がHSPの方に向けて発信をはじめてから2年半が経とうとしていますが、HSPはテレビで取り上げられるなど、瞬く間に有名な言葉になってきました。
恐らく、自分が生きづらかった原因が分かり、心の安心につながった人も多いのではないかと思います。
その一方で、HSPのことについて、色んな方が色んなことを発信するようになっており、情報過多な状態になっているのではないかと思っています。
そのため、「HSP」という言葉を見ることで情報に振り回され、気づかぬうちに疲れてしまっている人も多いのではないかと思います。
実は、私もその一人で、一時期「HSP」という言葉から逃げていたのですが、そのことによってHSPのことについて逆に理解を深めることができましたし、情報に振り回されることが少なくなりました。
そこで今回は、繊細な人が「HSP」という言葉から一時的に逃げてほしい理由について、私の経験や心理学などの知識を踏まえて考察し、お伝えしていきます。
ぜひ、最後までご覧ください!
この記事の目次
HSPの私が「HSP」という言葉から逃げてみて良かったこと
私は、このブログでHSPの方の「生きづらさ」を乗り越えるための術を2年半発信してきましたが、一時期「HSP」という言葉から逃げていた期間がありました。
昨年末、私はこんなツイートをしました。
最近はHSPという言葉を、
積極的に使わないように
しています。これまで、自立に向けた発信を
目指してきましたが、その一方で
最近は、依存に力が向くような
ツイートが共感を得られる傾向に
なってきました。なので、HSPという言葉を
使うだけでも自立を遠ざける…
と思っている自分がいます。— ぽん乃助@HSP働き方戦略ブロガー (@suke_of_pon) December 20, 2019
このツイート以降、意識的にHSPという言葉を使わないように過ごしてきました。
今はまた、HSPという言葉を普通に使うようになりましたが、なぜ一時期逃げるようにしていたのか。
それは、HSPという言葉が流行るとともに、たくさんの情報が飛び交い、疲れてしまっている人が多いように感じるようになったからです。
そして、正直言うと、私自身も情報に振り回されて疲れてしまったのです。
そのため、HSPという言葉から、逃げるようにしていたのです。
ただその結果、私はHSPの気質による「生きづらさ」について、より俯瞰的に感じられるようになりましたし、何よりも自分自身を客観的にみられるようになったのです。
今回はそんな私の経験などをもとに、繊細な人が「HSP」という言葉から一時的に逃げてほしい理由をお伝えしていきます!
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繊細な人が「HSP」という言葉から一時的に逃げてほしい3つの理由
(1)自分自身を客観視ができなくなるから
「自分がHSP」だと気づく人の多くは、なんとなく感じていた日々の「生きづらさ」がきっかけであることが多いと思います。
なので、SNSなどではHSPによる「生きづらさ」について、共感される場面がよく見受けられます。
そんな中で、HSPの一人である私は、HSPの人が幸せな日々を送れるような現実的な処世術をお伝えしたいと思い、本ブログを始めました。
そして、「生きづらさ」から抜け出すための一つの鍵は、心の自立を目指すことであり、そのためには自分自身を客観視できるようになることが必要だと考えています。
専門用語では、「メタ認知」と呼ばれることもあります。
メタ認知(英:Metacognition)とは、「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。メタ認知という概念の定義やその活動は分野によって様々であるが、心理療法や認知カウンセリングをはじめ、ものごとや経験に対して正しい理解を行えているかなど、自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的である。
引用:Wikipedia「メタ認知」(アクセス日:2020年10月16日)
そして、本ブログで私の経験や心理学などの観点から情報を発信しているのは、HSPの方々に視野を広げていただき、自分自身の客観視につなげていただきたいと思っているからです。
そんな私ですが、ある時、SNSなどでHSPの方々の間で「生きづらさ」が共感されているのを見ていて、「あれ、疲れたな…」と、思ったことがあったのです。
私自身、自分がHSPだということを知った当初は、自分で抱えていた弱さを共感してくれる人がいるということに、すごく心が楽になりました。
だけど、時間が経つにつれて、違う感情が芽生えてきたのです。
私は少し前に、Twitterでこんなツイートをしました。
HSPの生きづらさを分かち合うことで、心は少し楽になる。
だけど、仕事や家庭などの現実は目まぐるしく揺れ動くし、年々体力は落ちていくわけだし、根本的に環境・習慣・考え方・体質など、何かを変えないとジリ貧になる。
だから私は生きづらさだけでなく、行動につながる情報を提供し続けます。
— ぽん乃助@HSP働き方戦略ブロガー (@suke_of_pon) September 23, 2020
ここにもあるとおり、「生きづらさ」を分かち合える瞬間は心が楽になるものの、日々の連続の中でうごめく現実には対処できていないことに気づいていたのです。
そして、日々の生活の中で、HSPの「生きづらさ」に関する情報を見れば見るほど、「自分の弱さは変えることができないけど、現実社会は自分の弱さを受け入れてくれない」という矛盾した気持ちが、頭に渦巻くようになってきたのです。
私が感じていた「疲れ」というのは、恐らくこの矛盾した気持ちの連続から生まれたものだと、今では思っています。
社会学者で有名な加藤諦三氏は、著書の中で、次のことを述べています。
長いこと弱さを武器にして生きていると、自分は弱くなければ生きられないと心の底で信じだす。自分の弱さを誇示し、従順であることを示し、それによって保護されようとする。
(中略)
弱さを誇示して他人の同情を集めて、責任をとらないで生きていこうと長いことしてくると、それ以外には生きる方法はないように思えてくる。
引用:加藤諦三(2019)『「自分の心」をしっかり守る方法』三笠書房
まさに、私が感じていた違和感は、ここにあると思ったのです。
つまり、HSPの「生きづらさ≒弱さ」ばかり見ていると、自分のありのままを客観視できなくなり、自分の弱さを盾に誰かに依存しないと、生きていけなくなってしまうのではないかと感じるようになっていたのです。
私は、「生きづらさ」から抜け出すために心の自立を目指していたのにも関わらず、HSPという言葉にこだわることで、自立から逆行していた自分に気づいたのです。
恐らく、HSPの方の中にも、「生きづらさ」を共感し続けていることで、自分の「弱さ」を感じることが多くなっている人も多いのではないでしょうか。
そして、気づかぬうちに、得体のしれない「疲れ」を感じている人も少なくないと思います。
繊細な人が「HSP」という言葉から一時的に逃げてほしい理由の一つが、ここにあります。
(2)HSPに関する意見が対立的・攻撃的になっているから
何となく感じている人も多いと思いますが、メディアなどでHSPが取り上げられるにつれて、最近はHSPという言葉をめぐり、対立構造を生んでいると思っています。
例えば、「あの人は本当にHSPなのか?」「テレビで言われているHSPの定義は実際には違う」と言ったことを、SNSなどでは見ることがあります。
これは、私がブログを始めた当初では、こうした攻撃的な意見はあまり見られませんでした。
HSPという言葉が有名になればなるほど、色んな人がHSPに対して色んな解釈を持ち、SNSでは多様な意見が発信されるようになりました。
このブログでは、既に伝えたこともありますが、この理由には2つあると考えています。
【HSPに対して多様な解釈が生まれる理由(私の考察)】 ①HSPは、うつ病のような病名ではなく、性格や気質の傾向を表すものであること ②HSPは、医者から診断される客観的な基準はなく、自分自身で認識するものであること |
つまり、HSP自体は学術的な見解が明らかになりつつも、個々人のHSPに対する感想のほうが、万人に分かりやすく受け入れられやすい情報となっているということです。
また、HSPが精神医学分野の用語ではない以上、主観的な見解を事実っぽく述べたとしても、許されやすい現状にもあるということになります。
そういう状況を危惧し、正しい見識を広めようと、現在は心理学分野の研究者も発信の場で見るようになりました。
また、対立的・攻撃的な意見がSNSで見られる理由は、これだけにないように思えます。
例えば、昔からHSPのことについて知っていて、コミュニティをつくったり、私のようにSNSやブログなどで発信したりする人も多くいらっしゃいます。
そんな中で、これは私の憶測ですが、最近メディアなどでHSPを知り、HSPのことについてSNSやブログについて発信する人に対して、ただ単純に「新参者に対する嫌悪感」のような感情を持っている人もいるのではないかと思っています。
つまり、元々HSPを知っていて、HSPというマイノリティだと思っていたコミュニティが、大きくなってしまったことによる排他的な感情です(これってHSPに限らず、社会で持たれやすい感情ですよね)。
こうした理由から、HSPに関する意見が対立的・攻撃的になっているのではないかと思っています。
その上で、私がここで言いたいのは、誰の意見が正しくて、誰の意見が間違っているのかということでは、全くもってありません。
HSPの人は自分の生活に「生きづらさ」を感じている人が多く、きっと「どうすればうまく生きられるようになるのだろう?」という疑問を感じていたからこそ、HSPという言葉にたどり着けたと思うのです。
つまり、最初にHSPという言葉を知ったときには、誰もが攻撃的・対立的な議論に参加するのは望んではいなくて、きっと心の平穏を求めてきた人が多いのではないかと思います。
ただ、今、SNSなどでHSPの話題を見ていると、攻撃的・対立的な意見を見ることが多くなりました。
そして人間の持たれやすいバイアスで、こうした攻撃的・対立的な意見はそうでない意見よりも、過大に捉えられやすいです。
もともとは心の平穏を求めに来たはずなのに、いつの間にか無意識のうちに、攻撃的・対立的な意見に参加し始めているHSPの人も、多くなっているのではないかと思います。
一つ言えるのは、攻撃的・対立的な環境にいると、自分の心はさらに疲れる一方です。
このように「HSPに関する意見が対立的・攻撃的になっている」ため、繊細な方が「もし情報疲れしているな…」と思ったら、「HSP」という言葉から一時的に逃げるべきだと考えています。
(3)HSPという言葉がビジネスやカルトなどの勧誘に使われているから
最近、Twitterを見ていて衝撃だったのは、「HSPの人でも楽して稼げるネットビジネス」という看板を掲げて、自分のビジネス(教科書の購入)につなげている人がいたことです。
これは、一つや二つではなく、既にたくさんの事例を見ており、カルトの勧誘でも使われている事例も見聞きしています。
こうした背景には何があるのでしょうか?
まず、HSPは「生きづらさ」というように、悩みの共感で広まってきた言葉だと思っています。
ビジネスやカルトなどにおける勧誘する相手は、「悩み」を持っている人がターゲットになりやすく、実はHSPは勧誘しやすい対象でもあるということなのです。
あとは、ビジネスやカルトなどの勧誘に限らず、HSPという言葉を発することで、自分の発信する情報が見てもらいやすくなるのです。
一時期、私はTwitterで、「HSPという言葉を入れて発信した投稿」と「HSPという言葉を入れずに発信した投稿」のエンゲージメント(フォロワーによるリアクションの数)の差を見たときに、「HSP」という言葉を入れたほうが、フォロワーによるリアクションの数が大きいことが分かりました。
そのため、フォロワーからたくさんのリアクションを得るために、SNSで「HSP」という言葉を入れて情報発信する人も多くなったのではないかと、私は思います。
これは、ブロガーである私自身も気を付けなければいけないことです。
私も含めてブロガーが意識することとしては、「ブログの記事の質を高めることと同時に、たくさんの人に見てもらえる内容を書く」ということです。
一生懸命時間をかけて記事を書いたとしても、たくさんの人に見てもらえなければ、その記事に一切の価値は生まれないからです。
だからこそ、たくさんの人に記事を見てもらうために、「HSP」に関する記事を書くブロガーが増えました。
また、「~だと思う」という感想でも、「~だ」と言い切ってしまったほうが、ブログ記事としては説得力がもたれやすい傾向にあります。
ブロガーの中には収益重視の人もいますので、「記事の質はともかくとして、とにかくたくさんの人に見てもらう」ことを目的に、記事執筆をしている人も少なくありません。
そのため、HSPに関するブログ記事を開いてみたら、内容はHSPの方にとって有用な記事になっていなかったり、誤った情報が「~だ」という形で断言したような記事になっていたり、そうした事例も多く見受けられます。(これは、私自身も未熟な面も多々あるため、気を付けていかなければなりませんが…。)
ここでした話は、HSPに限らず、ネットリテラシーの問題にもつながってきます。
スマホが普及して以来、一昔前に比べて、ネットの情報は爆発的に増え、そして間違っている情報でもその情報の正しさを検証せずとも、「この人が言うことであれば間違いない」という傾向が強くなってきたように思えます。
どうしても、ネット上でHSPの情報に囲まれて生きていると、客観的に物事が見えづらくなるため(事実と感想の境目も見えづらくなるため)、そういう意味でも、繊細な方がHSPという言葉から一時的に逃げることは、HSPの理解を深める意味でも大事なのではないかと考えています。
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おわりに
さて、今回の記事はいかがでしたでしょうか?
先述のとおり、私は情報疲れから一時期「HSP」という言葉から逃げていたことがあったのですが、むしろその経験がプラスにつながったため、きちんと整理してお話したく、今回の記事執筆に至りました。
私の好きな言葉の中に、「押してダメなら引いてみな」というフレーズがあります。
結構、会社や学校などの集団環境で過ごしていると、うまくいかないときに周りからプレッシャーも感じてしまい、「とにかく押してけ」という気持ちになってしまうことって、振り返ってみるとよくありませんか?
大体そういう時って、空回りしてしまって、うまくいかないことが私の経験では多いです。
なぜなら、「目的を見失ってしまう」からなのです。
今回は、「HSPの人がそもそもHSPという言葉にたどり着いた意味ってなんだっけ?」って考えたときに、きっと心の平穏を求めに来た人が多いのではないかと思ったんですね。
私も、HSPの方と実際にお会いしたり、お話したりしたこともありますが、心優しい方(決して対立や攻撃を望まない方)が多い印象にありました。
そんな中で、SNSを見ていると、「心の平穏を求める」とは逆行した対立的・攻撃的な意見をよく見るようになって、何となく違和感を感じていました。
ただ、この違和感をなかなか言語化できていなかったため、整理してみたという次第ではあります。
もし、「情報に振り回されて疲れているのであれば、情報から逃げる」というのは、情報社会においてはすごく大事なスキルだと思っています。
特に繊細な方は、情報で心を大きく揺さぶられる人も少なくないと思いますので、今回は情報から逃げる大事さを伝えたく、記事にした次第です。
自分の心を守る術としてネットリテラシーが重要であることを、オリエンタルラジオの中田敦彦さんのYouTubeをもとに、以前に動画でお伝えしたことがありますので、気になる方は以下からご覧いただければと思います。
それでは、今回はこの辺で終えたいと思います。
また次回も、よろしくお願いいたします!
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