「HSPの人が生きやすい社会」のたった一つの実現方法とは?
HSPとは、生まれつき5人に1人は当てはまると言われる、繊細で敏感な気質の人を指します。(HSPの詳しい解説は、こちらからご覧ください。)
そして、HSPの人は生まれつきの気質がゆえに、仕事や私生活で”生きづらさ”を感じやすいといわれています。
本ブログでは、HSPの人が今の社会で生き抜くための、ライフハック術やメンタルケア術を考察し、綴ってきました。
ただ、SNSなどを見ていると、そもそも社会自体のあり方が変わって、「HSPの人が生きやすい社会」を所望している人が多いように思います。
そして、それを実現するために、動いている人もいらっしゃいます。
そこで今回は、「HSPの人が生きやすい社会」とは何かということを考察したうえで、その社会を実現する方法について、現実的かつ徹底的に考えていきたいと思います。
ぜひ、最後までご覧ください!
この記事の目次
「HSPの人が生きやすい社会」について
(1)なぜ、「HSPの人が生きやすい社会になってほしい」と願う人がいるのか?
HSPの人は繊細で敏感がゆえに、”生きづらさ”が色々と挙げられます。
例えば、繊細な気質でいうと、他人に気を遣い過ぎたり、他人が怒られていると自分ごとに感じたりするなど、人間関係に疲れが生じやすいと言われます。
また、敏感な気質でいうと、騒音が気になったり、眩しい光が気になったりするなど、五感で感じる刺激が苦になりやすいと言われます。
私のこのブログでもそうですが、これまでは生きづらさの原因一つひとつに対して、それぞれの解決策を考えてきました。
ただ、一つひとつの生きづらさの原因に対して、実際に改善策を身に着けて対処していく…というのは、負担が大きいところもあります。
また、実際には、原因が複雑に絡み合って生きづらさに発展している場合もありますし、そもそも一人ひとりの個性が違う中で生きづらさの原因が必ずしもHSPの気質が原因でない可能性もあるため、改善策がその人に合っているのかというと、そうではなかったりします。
だからこそ、「HSPの人が生きやすい社会になってほしい」と願う人もいますし、実際にそういう社会になることを目指して動いている方もいらっしゃいます。
「HSPの人が生きやすい社会」が実現すれば、生きづらさの原因一つひとつに対してアプローチしなくとも、今の自分のままでも生きていける構図になる(?)というわけです。
私の持論としては、「HSPの人が生きやすい社会」を実現するためにはハードルが非常に高いので、生きづらさの一つひとつを解決していく視点というのも、すごく大事だと思っています。
とはいえ、「HSPの人が生きやすい社会」に関してはしっかりと考えたことがなかったため、今回はその点についてしっかりと考察をしてみたいと思っています。
(2)「HSPの人が生きやすい社会」を構築する2つの方法
さて、「HSPの人が生きやすい社会」を構築するにあたっては、2つの方法があると思っています。
そして、それぞれのアプローチともに、メリット・デメリットがあると考えています。
【「HSPの人が生きやすい社会」を構築するためのアプローチ】 ①HSPの人だけが生きやすい社会を構築する ②HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会を構築する |
SNSなどを見ていると、①を考えている人はすごく多いように思えます。
ただ、どうしてもHSPはあくまで性格の傾向の一つに過ぎないし、病気でもありませんので、HSPという用語のもとに社会を変えられる力は持ちづらいのではないかと思っています。(どうしても、「うつ病」などの病気に比べると、社会的には理解されづらい部分があります。)
なので、現実的に考察していくと、私の想像力不足な部分もありますが、①のアプローチだけですと、ビジョンが見えづらいと感じています。
①のアプローチでアイデアを凝らして考えていらっしゃる方はとても多いので、その点の考察は他の方に任せるとして、今回私は②のアプローチで考察しようと思っています。
ちなみに、「①と②のアプローチの違いが分かりづらい…」という方に、もう少しシンプルに違いをお伝えしたいと思っています。
①HSPの人だけが生きやすい社会を構築する ⇒「バリアフリー(特定の人の障壁を取り除く)」の考え方に近い ②HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会を構築する ⇒「ユニバーサルデザイン(特定の人だけでなく、万人が使いやすいデザインを目指す)」の考え方に近い |
恐らく、上記のように、①と②の考え方の差異は、「バリアフリー」と「ユニバーサルデザイン」の違いに近い気がします。
例えば、「高齢者が生きやすい社会」を考察する場合には、「バリアフリー」と「ユニバーサルデザイン」の複合的な考え方が必要になりますし、実際には①と②のアプローチを組み合わせて社会的な施策が考えられています。
そのため、「HSPの人が生きやすい社会」を実現する場合にも、「バリアフリー」と「ユニバーサルデザイン」の両視点が必要なのかもしれません。
ただ、今回の記事では、ユニバーサルデザイン(②HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会を構築する)の視点で、「HSPの人が生きやすい社会」を実現するための方法を考察してみたいと思います。
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「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」の実現に必要な考え方
(1)国内や国際的な大きな社会問題に「HSP」を結び付けてみる
さて、「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」の実現のために、必要なことを考えてみたいと思います。
それはずばり、「HSPという概念が、他の社会問題と結びつけて取り扱われること」が必要だと思っています。
逆に言えば、「他の社会問題に、いかにHSPのことを結び付けるのか?」という戦略が必要だと思っています。
そうしないと、先述のとおり「HSPの人だけが生きやすい社会」を目指そうとするエゴ的な考え方に思われてしまい実現可能性が薄くなるため、いろんな人との「共生」を目指すというニュアンスが必要になってくるということになります。
さて、少し広い視点で物事を考えてみることにしましょう。(この点を考えるにあたっては、最近ベストセラーとなっている著書『シン・ニホン』で具体的な根拠をもって語られていますので、おススメの一冊です!)
日本国内で社会問題を考えてみると、福祉・労働・経済・ITなど様々な分野で支障や伸び悩みが生じており、国際競争力としても危機を脅かされている状況にあります。
さらには、世界に目を広げると、環境・資源・貧困の問題など、地球が今後長く続くかどうか(いわゆる「持続可能性」)が関わる問題が挙がっているわけです。
聞いたことがある人もいるかもしれませんが、現在国連が「SDGs(持続可能な開発目標)」を掲げているのはこうした問題を国際的に解決するためであり、日本としても社会の在り方として掲げる「Society5.0」に国際目標である「SDGs」を結び付けて考えているわけです。
つまりは、こうした大きな問題を原動力として社会づくりが行われているわけで、逆に言えば、HSP」という国際レベルでは小さな話題を原動力として社会は構築されづらいということになります。
なんだか、話が大きくなってしまいましたね…。笑
何が言いたいかというと、HSPの人の生きづらさを大きな社会問題に結び付けて考えることができれば、「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」の実現可能性が高まるのではないかと思うのです。
例えば「労働」の観点で考えてみれば、日本では「少子高齢化」や「時間当たりの生産性の低さ」といった問題を抱えているわけで、その問題の解決策として「男女平等雇用」・「高齢者雇用」・「外国人雇用」などといったことが考えられていますが、その概念に加えて「一人ひとりの性格傾向に合わせた働き方ができれば、一人当たりの生産性は高まるのではないか?」といった議論等を加えれば、HSPという言葉は直接でなくとも、一人ひとりの性格や気質を前向きに考えるような風潮の醸成につながるのではないかと思っています。(あくまで私のアイデアレベルなので、もっと良いアイデアは他にもあると思います。)
むしろ、HSPという言葉を直接的に使うよりも、こうした大きな問題を考えているときにHSPという言葉が出てきたほうが、皆の関心は寄せられやすいのではないかと考えます。
ちなみに、こうした社会の理想をイメージするときには、SF作品の世界観などが参考になる場合があります。
先ほど、「性格傾向に合わせた働き方」といった発想は、アニメ『PSYCHO-PASSサイコパス』から発想を得たわけで、このアニメの世界ではAIが浸透しており、一人ひとりの性格や能力に合わせた最適な職業がAIに提案される世界観となっています。(もちろん、アニメの作中ではこうした世界の問題点も語られるわけですが…)
【アニメ『PSYCHO-PASSサイコパス』の作中 より】
少し話がそれてしまいましたが、「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」を実現するためには、HSPのみならず、色んな人が「生きづらさ」につながる様々な気質・障害・事情などを抱えている中で、「HSPに限らず、相手の個性や事情を考える姿勢を社会に浸透させること」が鍵になってくるのではないかと思います。
いわゆる、「多様性」というやつですね。
そして、「多様性」を社会課題として真剣に取り上げられるためには、環境・資源・貧困・福祉・労働・経済・ITなどの大きな問題の枠組みの中で、「多様性を考えることがそうした大きな問題の解決につながっていく」といったストーリーや論理構成が必要になってくるのだと思います。
(2)「多様性」の文脈の中で「HSP」を目立たせる
さて、かなり複雑な内容になってしまったので、ここまでの私の考えを要約してみます。
【「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」の構築に必要なこと(私の考え)】 ・「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」を構築するためには、大きな社会問題に「HSP」を結び付けることが必要。 ・そしてそのためには、「HSPに限らず、相手の個性や事情を考える姿勢を社会に浸透させること(多様性が受け入れやすい風潮を醸成すること)」を考えることが社会問題の解決につながるといった、ストーリー付けが必要。 |
ただ、これだけでは、「HSPの人が生きやすい社会」を実現できるかというと、そうではないと思っています。
もし、上記の私の考え方を「HSPの人が生きやすい社会」につなげるためには、「多様性」の枠組みの中の一つとして「HSP」をもっと目立たせることが必要だと思っています。
「多様性」には、色々と種類があります。
例えば最近では、「多様性」の文脈で、精神疾患(うつ病や発達障害など)の理解が進んできたと思っています。
ただ、「HSP」は現時点では、精神疾患(うつ病や発達障害など)と比べて、「多様性」の中での位置づけは弱いと思っています。
その理由は、「HSP」の”生きづらさ”について、精神疾患と比べると、直接的ではない(わかりづらい)からだと思っています。
また、「HSP」は医師から診断されるものではなく、自分自身で診断する性格傾向なので、生きづらさの根拠としては弱いわけです。
それでは、「HSP」は、「多様性」のひとつとして捉えられるようになるのは無理なのでしょうか?
私は、HSPに関する著書の次の内容を見て、突破口を見出しました。
HSPは、繊細な性格(気質)をもつ人のことです。生きづらさはあるものの、治療が必要なものではありません。
しかし、そのHSP気質を「一階部分」とするなら、二階・三階部分にさまざまな症状や問題行動が「乗ってしまう」こともあります。例えば、一階部分がHSP、二階部分が不安症、三階部分が不登校などのように、HSPをベースに、さまざまな症状や問題行動が現れるのです。逆に言えば、不安症・抑うつ症状などの背景に、HSP気質があることも見受けられます。
これらの場合、一階・二階・三階それぞれに対応することが重要です。二階・三階については、医学的な処置や心理師による指導が必要なことも多いのです。
(中略)
実際、HSPであるほど、抑うつや不安が高いことが、多くの研究で確認されています。
(中略)
私は、正確な割合はわかりませんが、不登校の一定数は、HSPがベース(一階部分)にあるのではないかと感じています。前述したように、学校は緊張した場面や切迫した場面が多い場所です。そしてHSPは、もともと集団に馴染みにくい性質があります。特に思春期は、HSPの繊細さがいっそう高くなりやすいのです。すなわち、HSPの子どもには、不登校になりやすい条件が揃っているのです。
引用:串崎真志(2020)『繊細な心の科学ーHSP入門ー』風間書房
上述を踏まえると、「HSP」の気質であることが、不安症や抑うつ症状、さらには不登校といった問題につながりやすいということが示唆されているわけです。
つまり、私はこう思ったわけです。
「HSPの気質は、生きていくうえでの支障(精神疾患や不登校)につながりやすい。そして、HSPの人はかなり多くいる。だからこそ、HSPの気質が受け入れられるような環境や風潮ができれば、精神疾患や不登校などの問題を抱える人が少なる!」
そう、このように、「HSP」を少数派ではなく多数派として解釈し、さらには精神疾患や不登校などの”予防”の位置づけとして捉えることができれば、「多様性」の枠組みの中の一つとして「HSP」が目立つようになると思うのです。
さらには、「HSPの人が生きやすい社会を考えることが、精神疾患や不登校などを抱える人を少なくし、日本の生産性を解決する糸口になるのではないか?」といった、大きな問題につなげられる余地もあるわけです。
そして、そこにたどり着くまでに必要なものとして、もっと学術的な考察が必要なわけです。
私は以前、Twitterで、こんなツイートをしました。
私は、「生きづらい」という感想ではなく、「生きづらい」という事実が学術的に証明されないと、「HSP」を前向きなものとして社会的に受け入れられなくなってしまうことにつながりうると思っています。
逆に言えば、「生きづらい」という感想が優位な状況が続くと、HSPは社会的に受け入れがたい概念として(一般の人からするとHSPは近づきがたい概念として)、その役目を終えてしまう可能性もあると思っています。
現在、心理学者の間でも、HSPを専門的に研究されている方が多くいらっしゃいます。
そして、「HSPのことを考えることで、社会的な大きな価値につながる」といった事実が挙がってくれば、HSPの社会的な認知も高まり、「HSPの人が生きやすい社会」を目指すというのも机上の空論ではなくなるのではないかと私は考えています。
ただ、学術分野の話って、事実って突き詰めれば突き詰めるほど、難しい言葉が出てきたりするなど、社会的には共感されづらい概念になったりします。
今は、「HSP」の情報については事実(研究者の意見)よりも感想(当事者の意見)が多いため、共感する人は多いものの、社会的には受け入れがたい概念になっていると思っています。
ただ、「HSP」の情報が、事実(研究者の意見)のほうが多くなってしまっても、共感する人は少なくなってしまい、知名度は低くなると思っています。
なので、今まで以上に「HSP」が良い形として社会に認知が広まるためには、事実と感想(研究者の意見と当事者の意見)のバランスが必要だと思っています。
そして、私の立ち位置として、そのバランスをとる役目を果たせれば…と最近は思っています。
なお、HSPの新しい研究について、以前に記事にまとめたことがありますので、気になる方はぜひ、以下のリンクからご覧ください!
HSPの人はなぜ繊細で敏感なのか?新しい研究やよくある誤解も
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「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」の実現に必要なアクション
さて、今回は、「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」の実現について、考察してきました。
ただ、この言及というのは、今まで避けていました。
その理由は、どうしてもこの議論の延長上に、政治や個人の思想が関わってくると思ったからです。
私はこれまで、政治や個人の思想には特に言及したいと思っておらず、今の社会の在り方のままで、何かを変えることができないかという現実的な範囲で、ブログの記事を綴っていました。
ただ、私は今の社会の在り方でも、「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」の実現が可能ではないかというヒントを得られました。
最後にそれを綴って、終わりにしたいと思っています。
社会を作るためには、とても多くの人と莫大なお金が必ず必要になります。
だからこそ、「HSPの人が生きやすい社会」を作るためには、「HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会」を目指す必要があり、大きな社会問題に結びつける必要があることを述べてきました。(逆に言うと、「HSP」だけを考えていても、社会を構築できるような人とお金が集まらない可能性が高いと思っています。)
そして、「HSPの人が生きやすい社会(HSPの人だけでなく他の人も生きやすい社会)」を実現するためには、「まちづくり」がキーワードだと思っています。
なぜなら、「まちづくり」であれば比較的小規模(地域レベル)で始めることができるし、環境・資源・貧困・福祉・労働・経済・ITなどの大きな問題を一挙に取り上げることができると考えたからです。
そして、モデル地域からまちづくりを始めて、それがうまくいけば、全国レベルに広がっていく可能性も生まれるわけです。
この「まちづくり」構想の中に、例えば「一人ひとりの性格や能力に合わせて能力を発揮できるためには?」というテーマも含めることができれば、HSPの議論にも触れられる可能性が出てくるわけです。
さて、「まちづくり」の構想でヒントとなったのは、先述にも紹介したベストセラー著書『シン・ニホン』でした。
この著書がすごいのは、事実ベースで日本が置かれている状態と、地球レベルで持続可能性の危機が訪れていることがデータで示されているわけですが、その具体的な解決方法が最後に示されているのです。
そして、その具体的な解決方法というのが、「風の谷を創る」といったプロジェクト(詳細はリンク先参照)なのです。
このプロジェクトの詳細の言及は避けますが、ざっくりいうと、環境・資源・貧困・福祉・労働・経済・ITなどの問題を「まちづくり」を通じて解決しようとする、既に動き出しているプロジェクトなのです。
私はこの「まちづくり」の何に惹かれるかというと、特に明確な理由はありませんが、なぜだかワクワクしませんか?
少なくとも、私はこのプロジェクトを見たとき、新たな未来を切り開くという感覚が湧き、ワクワクしました。
何が言いたいかというと、はっきり言って「社会を変える」なんていうのは、絵空事です。
だけれども、そうした絵空事を実現させるためには、多くの人を巻き込むことが必要です。
それも、自発的にやりたいという気持ちで、多くの人を集めなければいけないと思っています。
そこで、必要なのが、このワクワク感だと思っています。
「HSPの人が生きやすい社会になってほしい」という人は多いですが、「社会を変える」のにはとても多くの人と莫大なお金が必要で、ハードルが高いです。
そして、「HSP」という言葉そのものには、それができる力があるとは思っていません。
だけれども、こうした「まちづくり」のプロジェクトの中に、「HSPの生きやすい社会は?」というメッセージを入れることは不可能ではないと思っています。
そしてこれこそが、私が現実的に可能だと考える、「HSPの人が生きやすい社会」のたった一つの実現方法です。
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おわりに
さて、今回の記事はいかがでしょうか。
最後は、途方に暮れるようなスケールの大きな話になってしまいましたね。
私自身も、この記事を書いていて、頭がパンクしそうになるほど疲れてしまいました…。
私がこの記事で真に伝えたかったのは、「HSPの人が生きやすい社会になってほしい」という思いは、現実的に考えると本当に難しい話であるということなんです。
だからこそ、「生きづらさ」を解決するためには、自分の力で対処したり他人に助けを求めたりする方策を探ることが一番簡単な方法ですし、すぐに行動に移せるということになります。
ただ、私は自分自身がうつ病になった経験から、精神的に追い込まれる人は一人でも少なくなってほしいし、一人ひとりに合わせた働き方や生き方がこれまで以上にしやすい世の中であれば、もっと楽しい社会になるんじゃないか…と漠然とした理想像を持っています。
そのため、「HSP」という概念をきっかけに、こうした社会につなげることができれば、もしかしたら想定していない副作用があるかもしれないものの、よりよい未来が待っているのではないかと思っています。
私はこうした「まちづくり」構想に力を貸せるように、一人ひとりの悩みに向き合っていき、力を蓄えていこうと思っています。
そして、経験を踏まえて、「まちづくり」という大きなプロジェクトに参画することができないか…と考えています。
最後に、今回の記事執筆にあたって参考にした著書『シン・ニホン』は、現在の日本が抱える社会を正確に捉えるにあたって、申し分ない一冊でしたので紹介します。
今年のベストセラー著書で、私自身も1ページたりとも見逃せない一冊でしたので、是非ともご一読されてはいかがでしょうか?
それでは、今回はこの辺で終えたいと思います。
最後まで、ご覧いただき、ありがとうございました。
また次回も、よろしくお願いいたします!
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