大切な人から「死にたい」と言われた場合の適切な対応とは?
本ブログでは、心が繊細なHSPの方をはじめ、”生きづらさ”を感じる当事者やその支援者に向けて、心理学などの記事を綴っています。
さて、私が本ブログをはじめたきっかけは、自分自身がパワハラを受けて、うつ病になった経験が大きく関わっています。
うつ病の人の特徴の一つとして、希死念慮が挙げられます。
私も、うつ病の時にこの希死念慮を経験したのですが、頭には漠然とした「死にたい」という気持ちがずっと続いていて、これは本当につらいものでした。
「死にたい」という気持ちを口にして、周囲を困らせてしまったときもありました。
もし、大切な人から突然「死にたい」と言われたら、どうすればよいのか…?
今この瞬間に、悩んでいる方もいらっしゃると思います。
そこで今回は、大切な人から「死にたい」と言われた場合の適切な対応を考えていきます。
「死にたい」とまで言われなくても、大切な人から重い相談を受けて、悩んでいる方にも参考になるかもしれません。
なお、今回は記事執筆にあたって、著書『もしも「死にたい」と言われたら』を参考にしていきます。
(*)動画版も作成していますので、記事を読むのが大変な方は、以下YouTubeよりご覧いただければと思います!
「死にたい」はどういう意味なのか?
私は、以前本ブログや動画で、うつ病の人がなぜ「助けて」ではなく、「死にたい」と言うのかを考察しました。(詳細は、以下リンクからご覧ください。)
うつ病の人はなぜ「助けて」ではなく「死にたい」と訴えるのか?
そして、この記事をざっくり要約すると、以下のとおりです。
■「死にたい」と訴える人の理由と特徴 ・「助けを求める」という選択肢が頭の中にはなくなってしまっている。(「死にたい」という選択肢しかない状況にまで、追い込まれている。) ・「死にたい」というのは、「生きたい」という気持ちとの葛藤を表している。 ■「助けて」と訴えられない人の理由と特徴 ・「助けて」と伝えたり、実際に助けてもらったりした経験が乏しい。 ・自分の気持ちを言葉にすることが苦手である。 ・本当に重大なことしか他人に話をしてはいけないという信念をもっている。 |
そう、つまりは、「死にたい」というのは、「助けて」と言えない人の心のSOSサインであると言い換えられるのではないかと思います。
著書『もしも「死にたい」と言われたら』の中の言葉を借りると、「もしもこのつらさを少しでもやわらげることができるならば、本当は生きたい」という意味なのです。
よく「死にたい」という言葉を口にする人に対して、「かまってちゃん」とか「メンヘラ」とかいう言葉を当てはめて、軽視する方もたまに見られます。
だけれども、「死にたい」という言葉は、思った以上に重い言葉なのです。
著書には、次のとおり書かれています。
Kesslerらの大規模疫学調査(Kessler et al, 1999)は、自殺念慮を抱いた者の34%は具体的な自殺の計画を立てており、自殺の計画を立てた者の72%は実際に自殺企図におよんでいたことを明らかにしている。つまり、自殺念慮を抱いたことのある者の26%が実際に自殺企図におよんだ経験があったことになる。このことは、自殺念慮の存在が近い将来の自殺を予測する重要な危険因子であることを示している。
(中略)
自殺念慮が深刻なものであれば、あるほど、そのアセスメントは困難をきわめる。フィンランドにおける心理学的剖検研究(Lonnqvist et al.1995)では、自殺既遂者の多くが、そうした行為の直前には援助者に自殺の意図を伝えていないことが明らかにされており、周囲に自殺の考えを漏らすのは、それよりももう少し手前の時期、たとえば数週ないしは数カ月前のことが多い。
これには、自殺を強く決意した患者の心性として、「精神科医や援助者を敵とみなす傾向」が生じることが影響している(Chiles & Strosahl 2005)。
引用:松本俊彦(2015)『もしも「死にたい」と言われたら』中外医学社
そう、つまりは、「死にたい」という告白は、その後の自殺行為に及ぶ確率が想像以上に高いこと。
そして、「死にたい」という言葉を軽視して見放してしまうと、いずれは「死にたい」という言葉を発さなくなってしまい、自殺行為にもつながりうるということも言えるわけです。
それでは、もしあなたにとって大切な人が「死にたい」と訴えているとしたら、なぜあなたに「死にたい」と訴えるのでしょうか?
著書には、次のとおり書かれています。
患者は誰彼構わずに自殺念慮を告白するわけではなく、「この人ならば理解してくれるかもしれない」という相手を選んで告白しているのである。
(中略)
「死にたい」という告白は、「困難な問題のせいで死にたいほどつらいが、もしもその問題が解決されれば、本当は生きたい」という意味があるということである。このことは、援助者にとってはよい情報である。患者の「死にたい」という訴えを聴いていると、あたかもコーナーに追い詰められ、ノックアウトが確定したボクサーのような気分になるが、実際には必ずしもそうではない。援助者には十分な「勝機」がある。
引用:松本俊彦(2015)『もしも「死にたい」と言われたら』中外医学社
そう、つまりは、「死にたい」と告白されるということは、あなたが信頼されているからだということになります。
そして、もしその人があなたにとって大切な人なのであれば、「死にたい」の意味から逆算すると、大切な人の心を救える可能性は十分にあるということになります。
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「死にたい」と言われた場合の対応とは?
(1)一番大事なのは相手の孤独感を拭うこと
こうした相談を受けたとき、まずは一人で解決しようと思わないことが何よりも大事です。
著書『別冊 NHKきょうの健康 よくわかるうつ病』には、身近なうつ病の人のサポートして、次のとおり記載があります。
家族や周囲の人は、ついイライラしてしまったり、長引くサポートに疲れてしまうこともあります。共倒れを防ぐコツは、抱え込まないこと。うつ病の治療は、医師とのチームプレイです。困ったことがあれば、迷わず医師に相談してください。また、事情を知っている友人などに、話を聞いてもらうのもよよいでしょう。
引用:総監修 尾崎紀夫(2016)『よくわかるうつ病 診断と治療、周囲の接し方・支え方』NHK出版
「死にたい」という方が、全員うつ病かというとそうではありませんが、大切な人から重い相談を受けた際の対応としては、うつ病の方への支援が大変参考になると考えています。
やはり重い相談を受けた際に一番避けたいのは、自分自身も責任感や罪悪感を感じすぎてしまい、追い込まれてしまうことです。
それを避けるためには、医師や専門家の力を借りたり、友人に相談したりと、協力者を作っていくことが大事だと思っています。
そのうえで、重い相談を受けた際に、どのように接していければということを考えていければと思います。
大切な人から「死にたい」と言われた際に、一番避けたいのは、自殺を防ぐことです。
近年では、自殺予防の領域では、自殺の発生メカニズムを説明する際に、「自殺の対人関係理論」が広く支持されているそうです。
その理論によると、他人に助けを求められない人の思考の特徴として、次のことが挙げられています。
【他人に助けを求められない人の思考の特徴】 ①獲得された自殺の潜在能力…自傷行為や自殺企図の繰り返しなどで、痛みや恐怖に慣れている ②所属感の減弱…孤独感を抱いており、自分には味方がいないと感じている ③負担感の知覚…自分が誰かの負担になっていると感じていたり、自分がいないほうが他の人が喜ぶのではないかと感じたりしている 参考:勝又陽太郎『「助けて」ではなく「死にたい」』(松本俊彦 編(2019)『「助けて」が言えない』日本評論社に収録) |
この①~③が、自殺につながる原因につながるというわけです。
言い換えると、この①~③の気持ちを和らげることができれば、最悪な事態を避けることができるということになります。
そして、「死にたい」という方に接するにあたって、周囲の方ができることとして一番喫緊な課題は、「②所属感の減弱」を和らげることだと考えられます。
著書には次のとおり、書かれています。
最も喫緊の課題となるのは、所属感の減弱-「誰も自分を必要としていない」、「自分の居場所はどこにもない」という感覚ーを呈する患者に対して、「少なくとも今あなたの目の前にいるこの援助者は、あなたに関心を持っていて、次も会いたいと考えている」と伝えることなのである。
(中略)
たとえば、面接に際して患者のことを「あなた」という抽象的な2人称で呼ぶのではなく、患者の「名前」で呼び、面接のあいだ中、その名前(「~さん」など)を繰り返すことがポイントであるという。また、患者と話をする際には、「説得よりも相手の言葉を繰り返すことに時間を割くこと。説得はしばしば裏目に出て、かえって自殺に対する抵抗感を弱めてしまいやすい」とも指摘している。
引用:松本俊彦(2015)『もしも「死にたい」と言われたら』中外医学社
つまり、大切な人が「死にたい」と言ってきたときにできることは、相手に寄り添うこと。
そして、相手を説得しようとするのではなく、相手の名前を呼び掛けたり、相手の言葉を繰り返したり、相手の言葉に耳を貸す姿勢が非常に大事だということが、ここでわかります。
このような姿勢が、基本となります。
(2)「死にたい」と言われたときの対応
それでは、「死にたい」と言われた際の寄り添う姿勢について、具体的な対応例を挙げていきます。
著書を参考に、次のとおり、まとめました。
【「死にたい」と言われたときの対応】 ①告白に感謝する…相手は告白してもまともに向き合ってもらえないかと心配しているため、正直に「死にたい」という気持ちを告白したことに対し、感謝する。 ②「自殺はいけない」はいけない…相手が正直に気持ちを語れなくなってしまうため、「自殺はいけない」と相手を説得しようとしない。 ③「聴くこと」と「質問すること」…相手の言葉を繰り返したり、気になる点を質問する。決して自分の考えや信念を「伝えること」は、しないようにする。 ④安心感を伝える…相手を脅かすことのない態度を心がけ、静かで落ち着いた口調で、現在いる場所は安全であることを伝える。 参考:松本俊彦(2015)『もしも「死にたい」と言われたら』中外医学社 |
こうした対応は、相手に寄り添うという姿勢に近づくための方法であり、「死にたい」と言われたときに限らず、相手から重い相談を受けた際にも使える方法だと思います。
ただ、先述のとおり、相手から重い相談を受けた際は、自分だけで解決しないということがなによりも最優先で大事になります。
なので、協力者を得たうえで二人三脚の感覚で、大切な人の心のケアに臨むことが重要だと、私は考えます。
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おわりに
さて、今回の記事はいかがでしたでしょうか?
本ブログでは、HSPの生きづらさのみならず、こうした記事も綴っています。
それは、私自身がうつ病になってしまった経験があり、その経験を踏まえて、色々な方に精神疾患のつらさや適切な支援のことをもって知ってほしいと思っているからです。
また、先日のHSPに関する記事の中でも、HSPの人は精神疾患になりやすい可能性があることについて、示唆しました。
私自身も、うつ病になった一要因として、自分のHSP(繊細で敏感な気質)があるのではないかと考えています。(詳しくは、以下の記事をご覧ください。)
HSPの人はなぜ繊細で敏感なのか?新しい研究やよくある誤解も
今は、自分がうつ病から寛解したということもあり、冷静に語れていますが、当時は本当につらいものでした。
「死にたい」という気持ちがありつつも、他人に迷惑をかけたくないという思いもあり、いろんな思いが錯綜していました。
なので、当事者目線から言うと、他人に助けを求めるというのは非常に勇気がいることだと考えています。
逆に、今客観的な立場として考えると、相談された側としても適切な対処が分からず、深い悩みを感じている方も多いのではないかと思います。
今回の記事は、そんな方にとって一助になれば、それより嬉しいことはありません。
もう少し社会としても、精神疾患のつらさやその周りの人たちが支えることが大変だということについて、もっと広まればという思いを持ちつつ、記事執筆をこれからも続けていければと思っています。
なお、今回の記事執筆にあたって、松本俊彦さんの著書『もしも「死にたい」と言われたら』を参考にさせていただいたこと、ここでお礼申し上げます。
なお、以前YouTubeで、「うつ病になりやすい人の考え方の特徴」についての動画を投稿しましたので、うつ病などについてもっと理解を深めたい方は、以下のリンクからご覧いただければと思います。
それでは、今回はこの辺で終えたいと思います。
また次回も、よろしくお願いいたします!
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