HSPを巡る現況。そしていま発信者に求められることは?(後編)
前編の記事では、「HSPブーム」の問題性の概要を綴った上で、1年が経った今、HSPを巡る現況を俯瞰しました。
概要としては、以下2点を指摘しました。
①HSPに関する発信者の目的や活動が分裂してきており、偏った主張も目立つようになったのではないか ②本来HSPの人が求めていたものとは異なるものが、発信者から情報提供されているのではないか |
前回の記事は下記リンクからご覧ください。
HSPを巡る現況。そしていま発信者に求められることとは?(前編)
(※)本記事の内容は、私の解釈が過分に含むことをご留意のうえ、ご覧いただけますと幸いです。
この記事の目次
「HSPの発信」と「利己と利他のバランス」
(1)私がHSPの発信を始めた理由
さて、後編では、前編と打って変わって、私自身の発信活動のことを起点に綴っていきたいと思います。
私がHSPの発信活動をはじめたきっかけとしては、3つあります。
一つ目は、私が仕事で悩みを抱えていたときに、著書でHSPを知り、自分と似た気質で自分と似た悩みを持っている人が他にもいるんだという安心感を感じたこと。
二つ目は、自分自身の経験や著書等の知見から、自分自身が生き方のヒントを学ぶとともに、他者と共有知を増やしたいという思いがあったこと。
三つ目は、そもそも「書く」ということ自体が好きで、こうした活動を仕事にできないかという思いがあったこと。
ちょっとかたく書いてしまいましたが、その背景には、私は会社で日々追い込まれていて、「仕事」という面では自分自身に人権がなかったわけです。
要は、困難に立ち向かえる力を身につけたかったのと、ネット上で職を得るとともに人権のある「何者」かになりたかったわけです。
つまり、発信を始めた理由としては、リアルに対する前向きな理由だけではなく、リアルからの逃げの意味もあったわけです。
ただ、4年間発信の活動を続けてきたわけですが、私自身は、ネット上で「何者」かになるセンスはなく、「仕事」を得るセンスもなかったわけです。
「やっと気づいたのかお前…」という人もいると思いますが、それだけ不器用な人間なんだと、私自身も再実感しました。
(2)「何者」を目指したい発信者
さて、発信者の中には私のように、リアルに対する前向きな理由だけではなく、リアルからの逃げの意味で、ネット上で発信を始めた人は少なくないと思います。
そして、ネット上で、人権のある「何者」かになりたくて発信を始めた人も少なくないのではないかと思います。
たとえば、メンタル界隈で良く見るのが、みんなから尊敬される立場の「先生」になりたい人を良く見ます。
ネット上で「先生」を目指したい人は、たとえば、前向きな理由としては「どうしても自分が伝えたい主張がある」ということもあれば、逃げの理由としては「みんなから良いことを言われたい(苦手な人に嫌なことを言われたくない)」といったことが挙げられると思います。
そこには、リアル世界での「先生」への憧れも含まれていると思います。
それでは、リアル世界の「先生」と言われる人は、どんな人がいるでしょうか?
学校の教師、専門家、医師、弁護士、代議士…と、挙げられます。
メディアを見ていると、彼らが尊敬されている絵が取り上げられることが多いですが、私の付き合いの範囲ではありますが、こうした方々が苦悩を抱える姿を実際にみています。
学校の教師は、他の教師との付き合いや生徒の親御さんとの付き合いの難しさを感じる人を見ました。
専門家は、大学院の期間と費用の割に定職に就きづらく、就いたとしても、自分の主張が偉い先生と合わずに、大学をクビになった人を見ました。
医師は、特に私大の場合は、給与に見合わないくらい学費が高い場合があり、活躍できるまで時間がかかり、また、責任の大きさに悩む人を見ました。
弁護士は、そもそも司法試験に突破できない人が多く、弁護士になっても稼げない人を見ました。
代議士は、選挙の出馬にあたっては無職であるため落選のリスクが非常に大きく、当選しても自分の一挙手一投足が評価されることに悩む人を見ました。
つまり、「先生」になるということは無条件に尊敬されるわけではなく、言いたいことを言ってるだけでは信用失墜にもつながり得るし、色んな人から色んなことを言われるようになるし、だからといってアピールが足りないと仕事も得られづらいわけです。
あくまで上記は、「先生」の事例ですが、多くの人に「何者」かと認知されるということは、それだけの責任が問われることになるわけです。
私自身も、発信活動を始めた逃げの理由として、人権を持った「何者」かになりたいという思いがあったわけですが、逃げの理由にしては随分覚悟が無かったと、今では思います。
(3)「利己と利他のバランス」の難しさ
あくまで限られた経験の中ではありますが、リアルの仕事の経験やネット上での発信活動を通じて、「利己と利他のバランス」が何よりも難しいと考えています。
自分のためだけを考えてしまうと他人が蔑ろになってしまいますし、他人のことばかり考えていますと自分が蔑ろになってしまいます。
ビジネスでは、「win-win」とか言われますが、実際にはそんなに簡単な話ではないと思っています。
冒頭に、私はこの発信を通じて、仕事を得るセンスがなかったとお伝えしましたが、それはこの「利己と利他のバランス」が取れていないからだと思っています。
私はこのかた、仕事においても営利的な仕事をしたことがないので、自分自身でも発信活動を通じて、不器用な人間だと思うことがたくさんありました。
「優しさ」を意識するだけじゃ生きるのは難しいと、痛感しました。
以前、私がTwitterで交流があった方で、資本主義と照らし合わせて、HSPをめぐる発信の仕方の限界を述べて、Twitterをやめた方がいらっしゃいました。
私は、今でもその方とのやりとりを、深く覚えています。
メンタルのことをTwitterで呟くのは、「利己と利他のバランス」の話にもつながり、本当に難しいと思いますし、そう考えているHSPの発信者の方も多いのではないかと思います。
だけど、私はこのHSPをめぐる言葉のイメージには、「優しさ」のような温かさが、これからもあってほしいと思っています。
なぜなら、私がツラかった時期において、ここが居場所になったことは、自分自身で否定することは絶対にできないからです。
ここには、会社で理不尽にあたってくるような人たちではなく、他人思いで優しい人がたくさんいるんです。
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「HSPのミライ」と「私」について
(1)私が望む「HSPのミライ」について
私自身、人生で悩んでいたときに、「答え」や「救い」を求めていました。
でも、本当に大切だったのは、「人とのつながり」だったんです。
同じHSPの人で共通点があったとしても、みんな人生のストーリーが違うのだから、絶対的な共通解はないのだと、発信を続けてきて確信しています。
だからこそ、私は「HSPのミライ」について、優しさで繋がれて、横の関係を築ける雰囲気であることを望んでいます。
みんなの考え方を尊重し合うけれども、違うと思ったことは、相手を配慮しながらきちんと伝える。
誰かが恣意的に先導するのではなく、答えを見つけようとするんじゃなくて、支え合う。
みんなで共依存的に悪い方向に向かうのではなく、前を向こうとする。
私は、「HSP」という言葉が、「安心して手を繋ぎあえる」という意味であってほしいなと切に思っています。
「HSP」という言葉を巡っては、発信者だけじゃなく、学術者・臨床家など立場が違うひとたちが、それぞれ思惑や目的が違う中で、いろんな言葉が発されています。
そこには、「対立」の意味が含まれることもあります。
だけど、きちんとお互い話し合えば分かり合える部分の方が多いと思います。
理想論と、思われるかもしれません。
でも、ここ最近は、発信者と学術者が協力して、著書などが発表されるようになりました。
考え方が相反することもあるし、一筋縄でいかないこともあると思います。
それでも、「HSP」という言葉が「安心して手を繋ぎあえる」という意味であってほしいと、切に願っています。
そして、発信者の一人でも多く、この想いが伝わってほしいなと思っています。
(2)発信者の一人である「私」について
私自身、発信してから4年間ずっと同じ状況でいたわけじゃなく、考え方も変わってきて、少し攻撃的な内容を発信することもありました。
それは、今ではすごく反省しています。
私が本当に向き合わなければいけないのは、居場所を作ってくれた方々に、感謝を伝えることなんだと思っています。
そして、一人ひとりの違いを認めたうえで、他人を勇気づけること。自分が感じている大事だと思うことは、たとえ絶対的な正解じゃなかったとしても、素直に共有していくこと。
それは、このHSPをめぐるこの世界だけじゃなくて、現実で私が生きる仕事の世界でも、この姿勢が大事なんだろうと思っています。
最近は、暗いニュースが連日のように流れています。
私自身、自分ごとのように落ち込むことがたくさんありました。
生きている中でも、とてつもない理不尽に泣いたこともたくさんありました。
私自身の限られた経験の中ではありますが、これまで一番ツラかったことは、孤独になってしまったことでした。
だからこそ、私ができることは、いつかそうしてもらったように、深く関われる人を一人でも多くつくって、そして手を繋ぐことなんだろうと、今では思っています。
(3)さいごに
HSPという言葉に紐づくイメージとして、「落ち込みやすい」「痛みを感じやすい」などがネット上では見られますが、仕事や学校での競争社会においては足枷となるものが多く、それで共感しあっている人たちも多いのではないかと思います。
だけど、物事の負の面で共感しあう関係は、どんどん悪い方に思考が傾いていきがちです。
だからこそ、今はHSPという言葉をもとに、「良い環境からは良い影響を受けやすい」「美術に深い感動を感じる」など、今こそポジティブな面に共感しあってつくられる関係性が大事なんじゃないかと思っています。
人間には、誰だって良い面・悪い面があります。
そんな中で、悪い面よりも良い面をたくさん見つけあえる関係性は、前に進むことのできる力が生まれます。
これは、根拠なんかなくて、私の経験上の話ですが、私の中ではこれは間違いないと確信しています。
そのため、HSPにおいても、人と人の共通する部分・異なる部分も、「良い面」として捉えられるものとなってほしい。
HSPの発信者も、そういうことを発信してほしい。
それが、今言いたい、私のたった一つの願いです。
ここまで、前編・後編にわたり、長文をご覧いただきまして、ありがとうございました。
(本記事の前編は、以下のリンクからご覧いただけます。)
HSPを巡る現況。そしていま発信者に求められることとは?(前編)
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